吉野郡
よしのぐん
奈良県南部のほとんどを占める広大な郡。
人口は吉野・大淀・下市の北部3町に集中、面積は日本最大の村十津川村を筆頭にそれ以外の8村が多くを占める。これらの村地域は「奥吉野」と呼ばれ吉野・大淀・下市とはまた区別されることもある。
郡は紀伊山地の深い山々に覆われており、山を割って流れる吉野川や十津川、北山川の谷に集落が営まれる。
奥吉野地域は人口こそ希薄だが豊かな自然が残り林業が営まれている他、各所に大規模なダムが建設され、そこに貯められた水は発電や奈良盆地、紀の川平野における灌漑などに利用されている。また、洞川温泉や十津川渓谷の観光など、自然を生かした観光資源の開発も進められている。かつては道路事情が極めて悪く、大雨が降る度に国道168号や169号が通行止めになっていたが、ここ数年で大幅な整備が進められたこと、酷道の汚名を返上しつつある。この経緯から、十津川村や野迫川村など一部地域は北部3町や五條、橿原といった奈良県内へのアクセスが難しいため、新宮や橋本など、和歌山県内との繋がりが深い。一方で、大塔村や西吉野村は天ノ川下流域にある五條市との合併を選んでいる。
一方の町地域は近鉄吉野線で大阪へアクセスできることから、大阪のベッドタウンとして期待された時期もあったが、現在は奥吉野への物資集散基地や、吉野山の観光が主な産業となっている。
自然の他にも、朝廷開闢の地飛鳥に近いことから古代から極めて長い歴史を歩んでおり、壬申の乱における大海人皇子決起の地や後醍醐天皇による南朝樹立地となった吉野山や、霊場として人気を集めた大峰山ばかりがクローズアップされがちだが、奥吉野も奥吉野で独自の歴史が綴られた地であり、特に十津川郷士などが有名である。
8世紀頃に吉野監(よしののげん)という特別の地方行政区画が置かれた。畿内に属す。その後、廃止され大和国吉野郡となった。