概要
村上源氏赤松氏の一族で、6代当主・則祐の五男・義祐が摂津有馬郡(兵庫県三田市など)の地頭になったのが始まり。
戦国時代に赤松宗家が衰退していくと、細川氏次いで三好氏の配下となるが、宗家は1575(天正3)年に荒木村重と争った国秀の敗死によって断絶した。
代わって分家の則頼が豊臣秀吉に仕え御伽衆に、次男の豊氏が遠江横須賀(静岡県掛川市)3万石を与えられた。
関ヶ原の戦いでは父子共に東軍につき、則頼が一族の故地である有馬郡を含めた摂津三田2万石、豊氏が丹波福知山(京都府福知山市)6万石を与えられ、則頼の没後豊氏が三田領も引き継いだ。
1620(元和6)年、筑後久留米(福岡県久留米市)21万石の藩主となり明治維新まで続き、華族令公布後は伯爵に叙された。
分家
- 吹上有馬家
豊氏の長男・則氏の外孫で豊氏の三男・頼次の養子となった吉政が祖。
紀州徳川家に仕え、孫の氏倫が紀州家5代当主・吉宗が幕府8代将軍となった時にそのまま幕臣に登用された。1726(享保11)年に伊勢西条(三重県鈴鹿市)1万石を与えられ大名となり、2回の転封を経て下野吹上(栃木県栃木市)で明治維新を迎える。
なお氏倫が幕臣だったこともあり、宗家が外様大名なのに対し、吹上家は譜代大名となる。
華族令公布後は子爵に叙された。