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概要

徳川家康の十男頼宣が家祖、御三家の一つ。


歴史

家康の十男頼宣は最初は水戸藩主だったが後に駿府藩主、その後紀州藩主となった。石高は55万石、紀州藩5代藩主吉宗は7代将軍家継の死後に8代将軍となり以降の将軍家の血縁となる。紀州藩13代藩主慶福(家茂)は13代将軍家定の死後に将軍となった。明治維新後に侯爵に叙爵された。


分家

  • 西条松平家

1670(寛文13)年に頼宣の三男頼純が伊予西条(愛媛県西条市)3万石を与えられ立藩した。明治維新後に子爵に叙爵したが、その間2代当主頼致が本家6代当主宗直に、宗直の次男で5代当主となっていた頼淳が本家9代当主治貞となった。

  • 高森松平家

1697(元禄10)年、2代当主光貞の三男頼職が越前高森(福井県越前市)3万石を与えられ立藩した。1705(宝永2)年5月に兄で本家3代当主の綱教が死去したため本家を相続し廃藩となった。

  • 葛野松平家

光貞の四男頼方が頼職と同時に越前葛野(福井県越前町)3万石を与えられ立藩した。1705年9月に頼職が死去したため本家を相続し廃藩となった。後の徳川吉宗である。


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武家 紀州藩 徳川御三家

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