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概要

1670(寛文10)年、紀州徳川家初代当主・徳川頼宣の三男・頼純が伊予西条(愛媛県西条市)3万石を幕府より与えられ立藩した。

尾張家にとっての高須家水戸家にとっての高松家と同じように、その目的は宗家の後継ぎが途絶えた際に相続する、血統のスペアであった。結果的に2代当主・頼致が紀州家6代当主・徳川宗直に、宗直の次男で西条家5代当主となっていた頼淳が紀州家9代・徳川治貞になり、また西条家9代当主・頼学の六男(または七男)・頼久が紀州家14代・徳川茂承となった。

明治維新後に子爵に叙爵。

歴代当主

  1. 松平頼純
  2. 松平頼致:頼純の五男(または次男、四男)
  3. 松平頼渡:頼純の七男(または六男)
  4. 松平頼邑:頼渡の長男
  5. 松平頼淳
  6. 松平頼謙徳川宗将(紀州家7代当主、宗直の長男)の六男
  7. 松平頼看:頼謙の長男
  8. 松平頼啓:頼謙の三男
  9. 松平頼学:頼啓の長男
  10. 松平頼英:頼学の五男(または六男)

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  • 父と、子として

    江戸中期、紀伊徳川家の分家、西条松平家当主松平頼淳は本家家督相続の上使を待つ身となっていた。現当主徳川重倫の狼藉のためだ。その弟にして、頼淳の養子でもある頼謙が訪れる。父子でいられる最後の時間を惜しむように二人は語り合う。
西条松平家
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