徳川光貞
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とくがわみつさだ
徳川光貞とは江戸時代前期の大名。
1667(寛文7)年に紀州藩主となる。藩政は法令27箇条を制定し、1677(延宝5)年には紀州藩の基本法となる「農村法」を施行するなど、紀州藩の地盤固めを行った。
1698(元禄11)年に隠居し、長男の綱教が継いだが宝永2年5月に病死。綱教の死に気落ちしたのか、光貞も同年8月に、そして綱教の跡を継いだ三男の頼職も9月に亡くなるなど不幸が積み重なることになった。
しかしその後、5代藩主となった四男の頼方改め吉宗のもとで、紀州藩は再生への道を歩むことになる。
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