徳川綱教
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とくがわつなのり
徳川綱教とは江戸時代前期の大名。
1698(元禄11)年、光貞の隠居により家督を相続。第3代紀州藩主となり倹約により藩政立て直しを図るも、41歳の若さで死去。
3ヶ月後には光貞が綱教に先立たれて気落ちしたためか死去。さらにその1ヶ月後に異母弟で4代藩主となっていた頼職も急死した。
また綱教は、将軍の娘婿としての立場から6代将軍の候補になったこともあるが、1704(宝永元)年に鶴姫が亡くなったことにより立ち消えとなってしまった(跡を継いだのは甥の綱豊→家宣。
紀州藩の立て直しと将軍世継ぎ、その二つを達成するのは同じく異母弟で5代藩主となった吉宗を待たねばならなかった。
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