概要![編集](https://s.pximg.net/source/dic/images/icon_edit_partial.svg?20120424)
足利氏の分家・斯波氏の庶流を称するが定かではない。家名は尾張国海東郡蜂須賀郷(愛知県あま市)が由来。
戦国時代から安土桃山時代の当主・正勝は織田信長の美濃侵攻戦の際に降り、信長存命時は与力として、信長の横死後は筆頭家老として豊臣秀吉に仕えた。
正勝の子・家政は四国征伐の功績で阿波1国を与えられ、関ヶ原の戦いでも家政が西軍、その子・至鎮が東軍につくことで阿波を安堵され、さらに大坂の陣後に淡路を加増され、25万7千石の大名として明治維新まで続いた。
華族令公布後に侯爵となり農場経営によって資産家となったが、正勝から数えて18代目となる正氏が女性問題などの醜聞により、1945(昭和20)年に爵位を返上した。
現在の当主は正氏の長女・正子であるが、実子・養子共にいないため宗家最後の当主になると思われる。