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甲冑

36

かっちゅう

鎧と兜に構成される全身を守る為の防具。 現存品は金属製のものが多いが、実際には革製が多かったとされる。

概要

(よろい)と(かぶと)。

戦闘に際して戦士が身体を保護する為に纏う武具。

平時も用心の為に、また、儀礼に威儀を添える為に着用する事も有った。


一部地域を除いて、基本的に鎧や兜を身に付けられたのは特権階級か富裕層だけだった。

何故ならば、甲冑などの武具はその時代における、比較的最先端技術を用いられる為、高価だったからである。また、現代とは異なり、日常で着るであっても替えの服を何着も揃えられたのもお貴族様ぐらいのもので、服1つとってもそれが一財産という場合もあった。

故に多くの兵士は普段着に近い服装が主流というのは珍しく無く、中には裸同然の者もいた。


但し中華圏やイスラム圏の様に、大規模なを編成したり、大量の装備を生産出来るシステムを持っていた国家はそうでもなかったりする他、年代が下ってくれば生産技術の向上により、の着用者が増えたりした(それでも財政的な事情から、大抵の兵士は簡易な甲冑で済ませていた)。


日本の甲冑

・冑(かぶと)とは

頭部を保護する為の被り物。

平安中期以降、鎧(よろい)の発達と共に盛行した星兜がその代表。

頭を入れる所を鉢(はち)と言い、その背面に垂れて頸部を覆う箇所を錣(しころ)という。

誤って甲(よろい)の字をあてる事も多い。

首甲。首鎧。


星兜(ほしかぶと)

平安時代中期頃発生した兜の一形式。

兜本体(鉢)を形成する鉄板を接ぎ留める鋲の頭を兜表面に見せたもの。鋲の頭を星と呼ぶと頃から星兜の名が付いた。

平安時代には、十数枚の鉄板からなり星が大きい厳星兜(いがぼしかぶと)が大鎧に付く兜として流行したが、時代が下るにつれ板数は増し星が小型化した小星兜(こぼしかぶと)に変化した。

筋兜の流行により室町時代前期に一時衰退するが、戦国期に再び使用される様に成り江戸時代に至る。


筋兜(すじかぶと)

鎌倉時代後期から南北朝時代頃に発生した兜の一形式。

星兜と異なり、兜本体(鉢)を形成する鉄板を接ぎ留める鋲(星)を見せず、鉄板の縁を捩り立て接ぎ目を筋状に見せたもの。

星兜に比べて軽快・軽量かつ、製作が簡易である為、徒歩武士の胴丸腹巻に付く兜として用いられた。後には大鎧にも用いられる様に成った。


頭形兜(ずなりかぶと)

室町時代末期に発生した兜の一形式。

筋兜を簡略化した形で、3~5枚と少ない鉄板から成り、制作の手間もコストも比較的低かった事から戦国時代以降に広く使用された。

名前の通り、兜鉢の形は人間の頭に似ているのが最大の特徴。


大鎧(おおよろい)

平安時代頃に現れた、騎射戦に特化した甲冑である。

乗馬に適する様に裾の開いた胴、背には逆板、草摺は4枚、その右側の引合に当たるものを胴から離して脇楯(わいだて)とし、弓を引き易い様に胸は狭く脇を楽にし、胴の正面に弦走(つるばしり)を設ける。

矢を防ぐ為には兜に吹返(ふきがえし)、肩に大袖があり、栴檀(せんだん)の板、鳩尾(きゅうび)の板は胸板のはずれを護る。かなりの重量があり、重さは馬に掛かる様に成っている。


大鎧の盛衰

平安中期に成立。

もっぱら騎射戦の行われた源平時代はその最盛期。

南北朝頃は太刀・薙刀・槍による歩戦となり、武将も歩戦用の腹巻に袖を付ける事が多くなって、重い大鎧は進退に不便な為、次第に威儀用と成り室町末期には全く廃れた。

付き物を加えて鎧の皆具(かいぐ)という。

室町時代には、式の鎧、式正(しきよう)の鎧と称した。


胴丸

平安時代の中期頃に生じたもので、徒歩戦に適した鎧の形式である。

元は下級の徒歩武士が使用したものであり、右で引き合わせる。下半身を防護する草摺(くさずり)が8枚に分かれ(大鎧の場合は4枚)、足が動かし易く徒歩で動くのに都合の良い作りと成っている。

平安~鎌倉時代には大袖が付かなかったため杏葉(ぎょうよう)という板で肩を防御していたが、上級武士が着用する様に成ると大袖が付く様に成り、不要になった杏葉は小型化し高紐を覆う様にして装着する様に成った。

腹当

日本の鎧の形式の1つで、もっとも簡略化された形をしている。

軽やかな形状を持つ腹巻胴丸よりも更に簡易な鎧。

胸部と腹部を覆う胴鎧に小型の草摺を前と左右に3間垂らした形状で、着用者の胴体の前面及び側面腹部のみ保護する構造となっている(剣道の防具の「胴」と「垂」に類似)。

軽量で着脱は容易であるが、防御力は低い。

後に腹当の胴体を防御する部分が背部まで延長し、腹巻に発展していったと考えられている。


腹巻

鎌倉時代に生じた簡易な鎧である腹当から進化したと考えられ、着用者の胴体を覆い、背中で開閉(引合わせ)する作りとなっている。 後に背板(臆病板)が付いて背中の隙間も防御される様になる。

大鎧に比べて腰部が細く身体に密着し草摺の間数が増える等、胴丸同様徒歩戦に適した動き易い鎧で、元々は下級の徒歩武士が用いた。

戦法の変化に伴い次第に騎乗の上級武士も着用する様に成り、兜や袖・杏葉などを具備し重装化し、同時に上級武士が使うに相応しい華美なものとなった。


腹巻の盛衰

南北朝・室町期には胴丸と共に鎧の主流となるが、安土桃山期には当世具足の登場により衰退する。

なお、現在「腹巻」と呼ばれている形式は、元々「胴丸」と呼ばれていた物であるが、室町時代後期から江戸時代初期頃までにその呼び方が取り違えられ現在に至る。

また、布製の腹巻は冷気属性に耐性がある。


南蛮胴

ヨーロッパの胴鎧を日本風に改造した

安土桃山時代の当世具足の一種で、西洋から輸入された甲冑(南蛮具足)の胴に、草摺、袖等を付ける等の改造を施した。

前後2枚の鉄板から成り、胴の下端が尖り、前面中央部が鋭角的に盛り上がっており鉄砲の攻撃にも強い。

また、同じ様に西洋の輸入改造・模倣したものを南蛮兜と呼び、用いられた。南蛮胴を真似て日本で作られたものを和製南蛮胴といい、胴の下端が尖っていないことが特徴である。


西洋の甲冑

グレートヘルム

十字軍の活動を背景とした12世紀後半に生まれ、14世紀までヨーロッパで使用された兜。

もっとも単純な形のグレートヘルムは、視界と通気の為の小さな穴を開けた、頭部を完全に覆う事の出来る、頂部が平面の鋼の円筒であった。

やがて、これが発達するにつれて、剣を滑らせる為に表面を曲げたデザインに成っていった。

十字軍によって広く使用された為「十字軍の兜」と呼ばれることもあり、また、ほとんどのヨーロッパの軍隊の騎士や重装歩兵によっても用いられた。


ガレア

ローマ軍で使われた兜。

また、ローマ軍だけでなく、剣闘士にも使われた。

古代社会において製品規格化は徹底されておらず、手作業での工程だった為、細かな形状は時代、所属部隊だけでなく、個人の兵士ごとでも異なっている。


モリオン

16世紀から18世紀にかけてヨーロッパ諸国で流行ったスペイン風の軍用兜。

アーモンド型(洋梨とも)をしている鉢で、鍔の前後が尖っているのが特徴である。

安土桃山時代の日本にも南蛮貿易を通じてもたらされ、南蛮兜の名称で一部の武将達に南蛮胴と揃いで愛用された。

日本で使用される場合、シコロや眉庇を追加する等、和風に改造されることが多い。


ロリカ・セグメンタタ

古代ローマの軍団兵に支給された鎧。

ロリカは細長く切られた鉄製の板金を重ねて構成されており、胸部、腹部、肩を防護する。

1つ1つの板金は胴体、肩、上腕に沿った形で湾曲しており、上から下へと覆い被さる様な形で人間が立った姿に対して水平に重ねられている。

また、保護する箇所が大きい胴周りには左右別々の板金を合わせて構成された。


チェインメイル(鎖帷子

金属の輪っかを服状に組み合わせたモノ。実は比較的新しいタイプの甲冑で、後述のスケイルアーマーやラメラーアーマー、プレートアーマー等の既存の鎧と比べ、防御性能はよろしくなかった。その代わりに他の鎧と比べ、作り易く動きやすかった。

また、別タイプの鎧と重ね着でき、鎧の部材としても優秀だった為、鎧の性能がアレだった古代のヨーロッパを中心に世界各地へ広がっていった。

古来のヨーロッパでは「メイル」とだけ呼ばれることが多く、日本では鎖帷子と呼ばれる。


スケイルアーマー

鉄や革の小片を丈夫な布や革の下地に紐やリベットで鱗状に貼り付けたもの。

鎧の形式としてはもっとも古く、その起源は紀元前1400年代前半までさかのぼる。

スケイルとは日本語で鱗のことで、直訳すれば「鱗の鎧」だが、前述の通り鱗状に金属片などを繋げたものであり、動物の鱗などを使用して鎧を作っているわけではない。

しかしファンタジーの世界においては、その限りでは無い。


ラメラーアーマー(薄片鎧、薄金鎧)

レーム (Lame=薄片 薄板)、甲片、小札などと呼ばれる小さな板に穴をあけた物を、紐などで繋ぎ合わせて作成されている。

小札には革、鉄(鋼鉄)、角、木などを使用し、紐革や絹、木綿、麻などの糸で繋ぐ。

また、小札の材質を革にする場合、煮固めたり漆塗りにする事で硬度を増している。

本記事では便宜的に西洋の甲冑に分類しているが、世界全体で見れば標準的な部類に入る。


スケイルアーマーに似るが、ラメラーは接合する為の布状下地は無く、小片の連結だけで構成される。


プレートアーマー

間接部分が蝶番、尾錠、掛け金などで連結された全身一体型鎧。

「フルプレートアーマー」と呼ばれる事もあるが、兜や胴体部分だけでなく、籠手や脛当、草摺などの部位をすべて揃えた状態こそが、プレートアーマーの標準である為、「フル」の二文字は付かない。

フィクションでは定番も定番の甲冑だが、実は世界的に珍しいタイプの甲冑である


プレートメイル

チェインメイルに鉄板を取り付けて補強した鎧。中世ヨーロッパではチェインメイルとプレートアーマーの過渡期に当たるものとされているが、インドやアラブと言った気温の高い地方では、チェインメイルの部分の通気性が高く、鉄板のお陰でチェインメイルの弱点であった防御性の難を補える等の点から人気の高い鎧だった。

プレートアーマーと混同されやすい。


ピクシブにおける「甲冑」

比率で言えば和風よりも、洋風の鎧具足の方が多い。

また、甲冑を模したメカモンスター等の絵もたびたび投稿される。

上記の様な、いわゆる甲冑の型に嵌り切ったデザインだけでなく、「らしさ」を重視したファンタジー色の強い絵につけられることも多く見られる。


リアルなイラストにする際のコツ

「重厚感」を重視して描くならば問題ないが、「リアルさ」を強調して描きたい場合、可能な限り鎧は薄く描いた方がそれっぽい

そもそも金属の塊である為、フルプレートアーマーなど下手すれば一式で数十キロなんてものも存在するのである。

大体人間が着て活動できる限界の厚さは2~3mmとされ、それ以上厚いと徒歩では間違いなく動けなくなる。

「肌の上に鉄板を貼り付ける」のではなく、「金属製の服を描く」ぐらいの感覚で描くのがコツである。


関連イラスト


関連タグ

武器   日本刀

防具   アーマー 具足

武士  騎士 女騎士 剣士 女剣士

中世 戦国

八龍


外部リンク

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概要

(よろい)と(かぶと)。

戦闘に際して戦士が身体を保護する為に纏う武具。

平時も用心の為に、また、儀礼に威儀を添える為に着用する事も有った。


一部地域を除いて、基本的に鎧や兜を身に付けられたのは特権階級か富裕層だけだった。

何故ならば、甲冑などの武具はその時代における、比較的最先端技術を用いられる為、高価だったからである。また、現代とは異なり、日常で着るであっても替えの服を何着も揃えられたのもお貴族様ぐらいのもので、服1つとってもそれが一財産という場合もあった。

故に多くの兵士は普段着に近い服装が主流というのは珍しく無く、中には裸同然の者もいた。


但し中華圏やイスラム圏の様に、大規模なを編成したり、大量の装備を生産出来るシステムを持っていた国家はそうでもなかったりする他、年代が下ってくれば生産技術の向上により、の着用者が増えたりした(それでも財政的な事情から、大抵の兵士は簡易な甲冑で済ませていた)。


日本の甲冑

・冑(かぶと)とは

頭部を保護する為の被り物。

平安中期以降、鎧(よろい)の発達と共に盛行した星兜がその代表。

頭を入れる所を鉢(はち)と言い、その背面に垂れて頸部を覆う箇所を錣(しころ)という。

誤って甲(よろい)の字をあてる事も多い。

首甲。首鎧。


星兜(ほしかぶと)

平安時代中期頃発生した兜の一形式。

兜本体(鉢)を形成する鉄板を接ぎ留める鋲の頭を兜表面に見せたもの。鋲の頭を星と呼ぶと頃から星兜の名が付いた。

平安時代には、十数枚の鉄板からなり星が大きい厳星兜(いがぼしかぶと)が大鎧に付く兜として流行したが、時代が下るにつれ板数は増し星が小型化した小星兜(こぼしかぶと)に変化した。

筋兜の流行により室町時代前期に一時衰退するが、戦国期に再び使用される様に成り江戸時代に至る。


筋兜(すじかぶと)

鎌倉時代後期から南北朝時代頃に発生した兜の一形式。

星兜と異なり、兜本体(鉢)を形成する鉄板を接ぎ留める鋲(星)を見せず、鉄板の縁を捩り立て接ぎ目を筋状に見せたもの。

星兜に比べて軽快・軽量かつ、製作が簡易である為、徒歩武士の胴丸腹巻に付く兜として用いられた。後には大鎧にも用いられる様に成った。


頭形兜(ずなりかぶと)

室町時代末期に発生した兜の一形式。

筋兜を簡略化した形で、3~5枚と少ない鉄板から成り、制作の手間もコストも比較的低かった事から戦国時代以降に広く使用された。

名前の通り、兜鉢の形は人間の頭に似ているのが最大の特徴。


大鎧(おおよろい)

平安時代頃に現れた、騎射戦に特化した甲冑である。

乗馬に適する様に裾の開いた胴、背には逆板、草摺は4枚、その右側の引合に当たるものを胴から離して脇楯(わいだて)とし、弓を引き易い様に胸は狭く脇を楽にし、胴の正面に弦走(つるばしり)を設ける。

矢を防ぐ為には兜に吹返(ふきがえし)、肩に大袖があり、栴檀(せんだん)の板、鳩尾(きゅうび)の板は胸板のはずれを護る。かなりの重量があり、重さは馬に掛かる様に成っている。


大鎧の盛衰

平安中期に成立。

もっぱら騎射戦の行われた源平時代はその最盛期。

南北朝頃は太刀・薙刀・槍による歩戦となり、武将も歩戦用の腹巻に袖を付ける事が多くなって、重い大鎧は進退に不便な為、次第に威儀用と成り室町末期には全く廃れた。

付き物を加えて鎧の皆具(かいぐ)という。

室町時代には、式の鎧、式正(しきよう)の鎧と称した。


胴丸

平安時代の中期頃に生じたもので、徒歩戦に適した鎧の形式である。

元は下級の徒歩武士が使用したものであり、右で引き合わせる。下半身を防護する草摺(くさずり)が8枚に分かれ(大鎧の場合は4枚)、足が動かし易く徒歩で動くのに都合の良い作りと成っている。

平安~鎌倉時代には大袖が付かなかったため杏葉(ぎょうよう)という板で肩を防御していたが、上級武士が着用する様に成ると大袖が付く様に成り、不要になった杏葉は小型化し高紐を覆う様にして装着する様に成った。

腹当

日本の鎧の形式の1つで、もっとも簡略化された形をしている。

軽やかな形状を持つ腹巻胴丸よりも更に簡易な鎧。

胸部と腹部を覆う胴鎧に小型の草摺を前と左右に3間垂らした形状で、着用者の胴体の前面及び側面腹部のみ保護する構造となっている(剣道の防具の「胴」と「垂」に類似)。

軽量で着脱は容易であるが、防御力は低い。

後に腹当の胴体を防御する部分が背部まで延長し、腹巻に発展していったと考えられている。


腹巻

鎌倉時代に生じた簡易な鎧である腹当から進化したと考えられ、着用者の胴体を覆い、背中で開閉(引合わせ)する作りとなっている。 後に背板(臆病板)が付いて背中の隙間も防御される様になる。

大鎧に比べて腰部が細く身体に密着し草摺の間数が増える等、胴丸同様徒歩戦に適した動き易い鎧で、元々は下級の徒歩武士が用いた。

戦法の変化に伴い次第に騎乗の上級武士も着用する様に成り、兜や袖・杏葉などを具備し重装化し、同時に上級武士が使うに相応しい華美なものとなった。


腹巻の盛衰

南北朝・室町期には胴丸と共に鎧の主流となるが、安土桃山期には当世具足の登場により衰退する。

なお、現在「腹巻」と呼ばれている形式は、元々「胴丸」と呼ばれていた物であるが、室町時代後期から江戸時代初期頃までにその呼び方が取り違えられ現在に至る。

また、布製の腹巻は冷気属性に耐性がある。


南蛮胴

ヨーロッパの胴鎧を日本風に改造した

安土桃山時代の当世具足の一種で、西洋から輸入された甲冑(南蛮具足)の胴に、草摺、袖等を付ける等の改造を施した。

前後2枚の鉄板から成り、胴の下端が尖り、前面中央部が鋭角的に盛り上がっており鉄砲の攻撃にも強い。

また、同じ様に西洋の輸入改造・模倣したものを南蛮兜と呼び、用いられた。南蛮胴を真似て日本で作られたものを和製南蛮胴といい、胴の下端が尖っていないことが特徴である。


西洋の甲冑

グレートヘルム

十字軍の活動を背景とした12世紀後半に生まれ、14世紀までヨーロッパで使用された兜。

もっとも単純な形のグレートヘルムは、視界と通気の為の小さな穴を開けた、頭部を完全に覆う事の出来る、頂部が平面の鋼の円筒であった。

やがて、これが発達するにつれて、剣を滑らせる為に表面を曲げたデザインに成っていった。

十字軍によって広く使用された為「十字軍の兜」と呼ばれることもあり、また、ほとんどのヨーロッパの軍隊の騎士や重装歩兵によっても用いられた。


ガレア

ローマ軍で使われた兜。

また、ローマ軍だけでなく、剣闘士にも使われた。

古代社会において製品規格化は徹底されておらず、手作業での工程だった為、細かな形状は時代、所属部隊だけでなく、個人の兵士ごとでも異なっている。


モリオン

16世紀から18世紀にかけてヨーロッパ諸国で流行ったスペイン風の軍用兜。

アーモンド型(洋梨とも)をしている鉢で、鍔の前後が尖っているのが特徴である。

安土桃山時代の日本にも南蛮貿易を通じてもたらされ、南蛮兜の名称で一部の武将達に南蛮胴と揃いで愛用された。

日本で使用される場合、シコロや眉庇を追加する等、和風に改造されることが多い。


ロリカ・セグメンタタ

古代ローマの軍団兵に支給された鎧。

ロリカは細長く切られた鉄製の板金を重ねて構成されており、胸部、腹部、肩を防護する。

1つ1つの板金は胴体、肩、上腕に沿った形で湾曲しており、上から下へと覆い被さる様な形で人間が立った姿に対して水平に重ねられている。

また、保護する箇所が大きい胴周りには左右別々の板金を合わせて構成された。


チェインメイル(鎖帷子

金属の輪っかを服状に組み合わせたモノ。実は比較的新しいタイプの甲冑で、後述のスケイルアーマーやラメラーアーマー、プレートアーマー等の既存の鎧と比べ、防御性能はよろしくなかった。その代わりに他の鎧と比べ、作り易く動きやすかった。

また、別タイプの鎧と重ね着でき、鎧の部材としても優秀だった為、鎧の性能がアレだった古代のヨーロッパを中心に世界各地へ広がっていった。

古来のヨーロッパでは「メイル」とだけ呼ばれることが多く、日本では鎖帷子と呼ばれる。


スケイルアーマー

鉄や革の小片を丈夫な布や革の下地に紐やリベットで鱗状に貼り付けたもの。

鎧の形式としてはもっとも古く、その起源は紀元前1400年代前半までさかのぼる。

スケイルとは日本語で鱗のことで、直訳すれば「鱗の鎧」だが、前述の通り鱗状に金属片などを繋げたものであり、動物の鱗などを使用して鎧を作っているわけではない。

しかしファンタジーの世界においては、その限りでは無い。


ラメラーアーマー(薄片鎧、薄金鎧)

レーム (Lame=薄片 薄板)、甲片、小札などと呼ばれる小さな板に穴をあけた物を、紐などで繋ぎ合わせて作成されている。

小札には革、鉄(鋼鉄)、角、木などを使用し、紐革や絹、木綿、麻などの糸で繋ぐ。

また、小札の材質を革にする場合、煮固めたり漆塗りにする事で硬度を増している。

本記事では便宜的に西洋の甲冑に分類しているが、世界全体で見れば標準的な部類に入る。


スケイルアーマーに似るが、ラメラーは接合する為の布状下地は無く、小片の連結だけで構成される。


プレートアーマー

間接部分が蝶番、尾錠、掛け金などで連結された全身一体型鎧。

「フルプレートアーマー」と呼ばれる事もあるが、兜や胴体部分だけでなく、籠手や脛当、草摺などの部位をすべて揃えた状態こそが、プレートアーマーの標準である為、「フル」の二文字は付かない。

フィクションでは定番も定番の甲冑だが、実は世界的に珍しいタイプの甲冑である


プレートメイル

チェインメイルに鉄板を取り付けて補強した鎧。中世ヨーロッパではチェインメイルとプレートアーマーの過渡期に当たるものとされているが、インドやアラブと言った気温の高い地方では、チェインメイルの部分の通気性が高く、鉄板のお陰でチェインメイルの弱点であった防御性の難を補える等の点から人気の高い鎧だった。

プレートアーマーと混同されやすい。


ピクシブにおける「甲冑」

比率で言えば和風よりも、洋風の鎧具足の方が多い。

また、甲冑を模したメカモンスター等の絵もたびたび投稿される。

上記の様な、いわゆる甲冑の型に嵌り切ったデザインだけでなく、「らしさ」を重視したファンタジー色の強い絵につけられることも多く見られる。


リアルなイラストにする際のコツ

「重厚感」を重視して描くならば問題ないが、「リアルさ」を強調して描きたい場合、可能な限り鎧は薄く描いた方がそれっぽい

そもそも金属の塊である為、フルプレートアーマーなど下手すれば一式で数十キロなんてものも存在するのである。

大体人間が着て活動できる限界の厚さは2~3mmとされ、それ以上厚いと徒歩では間違いなく動けなくなる。

「肌の上に鉄板を貼り付ける」のではなく、「金属製の服を描く」ぐらいの感覚で描くのがコツである。


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