概要
チェインメイル( 英:chain mail )は「鎧形式の防具」であり、「細く伸ばした鋼線で輪を作り、それらを互いに連結して服の形に仕立てた」ものを指す。
語源など
この単語に用いられるメイルは郵便や電子メールを意味する"mail"と同じスペルである。
(そのため『文面に転送の指示が含まれる手紙』、転じて「電子化した不幸の手紙」であるチェーンメールも英語表記は"chain mail"と記述される)
メールが古フランス語のmale (バッグ、財布)等を由来とするのに対して、メイルは中英語のmaille (鎖帷子)を語源としており「mail」単体で鎖帷子を意味する。
英語圏では「チェイン」フランス語圏では「メイル」と呼ばれていたものが融合した言葉であり、正確には誤用となる。
鎖帷子とチェインメイル
鎖帷子の英訳でもあるチェインメイルだが、これに対し「運用方法や鎖の編み方が違うから鎖帷子とチェインメイルは別物だ」という意見もある。しかしこれは誤解で、鎖帷子はアジア圏で自然発生したものではなく、古代ヨーロッパで生まれたチェインメイルがシルクロードを経て中国を始めとするアジア地域へ伝わったモノである。
西洋での扱い
この鎧はケルト人により原型が作られたといわれ、その後ローマ人がこれを発展させたとされ、10世紀ごろにはヨーロッパ全域で使用されるようになったとされ、有名なところではカタフラクトやテンプル騎士団などがあげられる。
利用の変化
その後、斬撃以外の攻撃には防護効果が薄いとして、単独で用いられることはなくなったものの、板金で補強しプレートメイルとして利用したり、他の鎧の下に着用し、さらにこの下に布の衣装を着用するするなどの利用がなされた。
西アジアでの扱い
いつから使い始めたかは不明。古代ローマ帝国の時代からワンピース型やシャツ型のチェインメイルが用いられるようになる。ワンピース型は富裕層の兵士に用いたが、それ単体で使われるよりも、後述のラメラーアーマーやスケイルアーマーと呼ばれる丈夫な布地に小さな金属片を鱗状に取り付けた鎧を重ね着することが多かった。
これ以降、西アジアの鎧はチェインメイルをベースとするタイプのものが主流になっていく。
(チェインメイルは通気性に優れていたため、気温の高い西アジアや南アジアの気候にはうってつけであったのである。)
オスマントルコの時代になるとプレートで補強したタイプが登場した。
東アジアでの扱い
この鎧は東洋においては、チェインメイルが伝わる前にラメラーアーマー、小さな板に穴をあけた物を紐などでつなぎ合わせて作られる鎧が普及していたため、この種のものがメインとして用いられることは少なかったが、例外も存在する。
中国
少なくとも中国にはなかったタイプの鎧であり、西アジアから伝わったようである。長らく補助的な役割であったが15世紀ごろから銃火器の発達により鎧が軽装かの一途をたどっていたため用いられるようになった。
日本
日本においては少なくとも平安時代末期には存在していたといわれるが、西方より大陸を介して伝わったとされる。基本的には腕部を保護する籠手の一部に用いられるのみで胴体などの防御にはあまり用いられなかったと推測される。これは東アジアでは、欧州の戦場と違い弓矢が重視されたためであり、日本では鎖帷子が伝来する前により防御力の優れたラメラーアーマー(小札鎧)が普及し生産体制が確立していたためでもある。
(衣服の下に鎖帷子を着込むようになったのも、戦国時代末期になってからで、それまでは「着込み」とも呼ばれる小札鎧の胴当てを使用していた。)
鎖帷子の普及が遅かった日本であるが、全く使われていなかったわけではなく、遅くとも室町時代の初期には(南北朝時代)上位の兵が鎧の下に身に着けたり、鎧の隙間を埋めるため鎧の上から着たりすることもあったという。隠密的活動の際着用したりしているほか、現代でいう警察にあたる同心も状況によっては身に付ける場合もあった。
そのほか
- ケルト人がチェインメイルの原型を作った初期には、衣服、またはレザーアーマーやキルトアーマーなどの非金属性鎧を下地とし、その表面に多数の輪を縫い付けるという、リングメイルと呼称される鎧も存在した。しかし防御効果はそれほど高くはなく、技術が発展し、下地の必要がないチェインメイルが定着するとともに廃れる。
関連項目
チェーンメール:似て非なるもの。