概要
紀元前9世紀頃中央アジアからヨーロッパに移住したインド=ヨーロッパ語族系の民族である(特定の人種ではなく、ケルト語を話す人々を指す)。 ドナウ川流域を中心にその居住域は中欧から東欧にかけて広がっているが、一つの国家にまとまることはなかった。
「ケルト」という呼称も、ギリシャの歴史家ヘカタイオスやヘロドトスが呼んだものである。紀元前4~3世紀、ローマは度々ケルト人の略奪を受けた。
ケルト人の一部はアナトリア半島(トルコ)に侵入し、ガラティア人になった。
ヨーロッパ側が「大陸のケルト」、ブリテン島やアイルランド島に渡ったものが「島のケルト」と区分され、「大陸のケルト」はローマ帝国の支配下に入るとともにラテン人と同化し、ゲルマン人とも混血して消えていった。「島のケルト」にはローマ帝国の侵攻、その後のアングロ・サクソン人(ゲルマン人)の支配があったが、ブリテン島の一部やアイルランド島に残存したとされていた。
しかし、現在では遺伝子情報により、「島のケルト」と呼ばれている人たちがフランスやスペインからブリテン島やアイルランド島に渡ったのはヨーロッパ大陸と陸続きだった紀元前9,600~7,500年頃というケルト民族成立のはるか昔で、遺伝的繋がりが無いのが分かっている。
また、「島のケルト」に残ったケルト人特有の文化とされるものも、バイキングの侵攻以降、その文化の影響で成立したものという指摘が以前からされていた。
外見
肌の色は白いがゲルマン人やスラブ人ほど大柄ではなく、髪色も金髪より黒髪が多い傾向にあった。もともとラテン人のような地中海人種に近い民族とされる。