概要
この言葉は主として「ケルト人」、あるいはその民族の文化を指して用いられる。
ケルト人
ケルト人は、紀元前9世紀頃中央アジアからヨーロッパに移住したインド・ヨーロッパ語族系の民族である。
詳細⇒ケルト人
ケルト文化
従来の説では、ケルト人は鉄器時代初期の中部ヨーロッパでハルシュタット文化を発展させ、ハルシュタット文化はギリシャ文化の影響でラ・テーヌ文化に発展した。
ケルト人はギリシャ、ローマと交易を行い、ケルト金貨を製造した。
紀元前1世紀頃にはゲルマン民族の移動の影響でフランスやスペインに移動し、ローマのカエサルらによって征服されてローマ文化に従い、更にはフランク人と混血し、現在のフランス人となっていった。これを「大陸のケルト」と呼ぶ。また、一部はブリテン島やアイルランドに渡ったとされて、この地でもケルト系の文化を花開かせた。後に、ゲルマン系のアングロ=サクソン人やノルマン人に征服されたこの人々は「島のケルト」と呼ぶ。アイルランド人、スコットランド人、ウェールズ人は長年にわたり自らを「島のケルト」と考え、民族のアイデンティティーとしてきた。なお、フランス・ブルターニュ地方に住むブルトン人は現代の大陸ヨーロッパ(それもかつてのガリア)に住む数少ないケルト系民族であるが、彼らは元々ブリテン島から4~6世紀に移り住んできた人々の末裔であるため、「大陸のケルト」ではなく「島のケルト」の一員である。
しかし近年の研究では、彼らがイングランド人に比べてガリアなどのケルト人と必ずしも遺伝的に近いとは言えない事は今日では明らかになっている。分子遺伝学者オッペンハイマーによると、ブリテン諸島の遺伝子は従来のケルト人移動で想定されていた鉄器時代ではなく農業が始まるよりはるか以前に主にイベリア半島から伝来しているという。遺伝的にはケルトと呼ばれてきた人々はさらに古来からこの地に住んでおり、大陸のケルトとの血のつながりはないということになる。一方で、言語学者シムス・ウィリアムズの2006の研究にもあるように、古代ギリシャ・ローマの文献でケルト系地名の分布を調べると、確かにフランス、スペインからイギリス、アイルランドにかけて分布が集中している。言語学的には島のケルトも大陸のケルトも確かにケルトであるということになる。そのため、古代ウェールズやアイルランドの神話は現在もケルト神話として知られている。ケルトが存在するかどうかは学界でも激烈な議論になりやすいが、まずはその正体を探るのは別にして残された文化をながめるのも一つの立場であろう。
初期においては、その神話に基づいた多神教を信仰しており、神官であるドルイドを頂点とした生活を送っていたが、キリスト教が侵入してその生活は崩れた。
しかし、侵入後、しばらくの間のキリスト教は、ドルイド教の影響を受けた独自のキリスト教文化を発展させたと言われている。
それらの独自のキリスト教文化は、アイルランドの『ケルズの書』などのキリスト教の写本やキリスト教に基づく伝説・伝承・民話や妖精物語・ケルト十字などによって覗われる。
キリスト教やキリスト教に基づく伝説の写本やケルト十字には、曲線が密に絡まり合った独特の文様が基調として用いられているが、バイキングの文化の影響により生まれたものとされる。
また、独特の音楽も存在したと言われている。
文献
シムス・ウィリアムズ, P., Ancient Celtic Place-Names in Europe and Asia Minor,2006.
オッペンハイマー, S. 『人類の足跡10万年全史』,2007.
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