概要
ブーディカとは、ブリタンニア(現在のイギリス)東端に位置するノーフォーク地域を治めていたケルト言語圏域のケルト人イケニ族の女王である。
「ブーディカ」の表記は英語での発音を日本語で音写したもので、様々な表記ゆれが存在する。また彼女と対峙したローマ人たちの用いたラテン語ではボウディッカと発音され、実際こちらの表記の方が当時の実際の発音には近い。
ブーディカの名は古代イギリスに勢力を伸ばしていたローマ帝国と戦った女王として知られ、自身と娘たちを辱めた古代ローマに対し民族の誇りを持って戦った故事は国民国家形成期に大陸とは異なるルーツとしてイギリスのアイデンティティ確立に大いに利用された。
イケニ族は現在のノーフォーク周辺を根拠地としブーディカの夫プラスタグス王の在位中はブリタンニアへと進出したローマと同盟関係を結んでいた。しかし王が死ぬとローマはイケニの領域を蚕食し、土地と人々を事実上ローマの支配下へと組み込んだ。この過程で、夫の跡を継ぎ女王となっていたブーディカと二人の娘はローマ人による辱めを受けるに至っている。
反乱の機運の高まる中、紀元60年から61年にかけてローマのブリタンニア総督がウェールズ北部へと軍事行動を起こした隙を突き、ブーディカはイケニ族やトリノヴァンテス族らを率い蜂起する。まずトリノヴァンテスの故地カムロドゥヌム(現在のコルチェスター)を奪回した反乱軍は、その後ローマの植民市(ローマ人の築いた前線基地を兼ねた都市)を次々と攻略、カムロドゥヌム奪還の為攻撃を仕掛けてきたローマの正規軍団すら打ち負かした。勢いに乗るブーディカ軍はローマの中核都市ロンディニウム(現在のロンドン)、さらにウェルラミウム(現在のセント・オールバンズ)を攻撃し、破壊と殺戮の限りを尽くした。一連の反乱で殺害された犠牲者は7万とも8万ともいわれている。
一方、反乱を受けて周辺の軍団を糾合していた総督ガイウス・スエトニウス・パウリヌスは軍勢を増していたブーディカ軍とワトリング街道の戦いでようやく相対した。数的には圧倒的にブーディカ軍有利であったが、この会戦は兵の練度に優れスエトニウスの策もはまったローマ軍の一方的勝利によって幕を閉じた。ブーディカはこの敗戦に毒を仰いだとも病死したとも伝わっている。
尤も、勝った総督スエトニウスの方も、事態に驚愕した皇帝ネロの厳格な調査によってブリタニア人への暴虐を暴かれて一味諸共失脚。
ネロは後任の総督や将兵にブリタニア人の人権と文化の尊重を厳命し、其れに沿った復興政策を行ったのでブリタニア属州は平和と繁栄を享受する事になった。
ローマ人の歴史家タキトゥスは『年代記』において一連の出来事を記しており、作品中のボウディッカの演説はローマ帝国による属州支配の実態を告発するものとしてしばしば引用されている。ただしこの演説自体は(岳父が従軍していたスエトニウスの演説と異なり)当時の歴史記述の伝統にのっとったタキトゥスの創作と見た方が妥当であろう。
戦争で大いに活躍した歴史上実在した女性という希少性から、ブーディカはしばしば創作物に採り上げられている。
関連タグ
スマホゲーム『Fate/GrandOrder』に登場する彼女をモチーフとしたキャラクター⇒ブーディカ(Fate)。ちなみに、下記の卑弥呼もFGOに登場している。
エリザベス一世:英国の女王。同様に対外戦を起こした。こちらは勝利して独立を維持した。
ヴィクトリア:英国の女王。名前の意味がブーディカと同じ勝利でヴィクトリア朝ではブーディカが賞揚された。
卑弥呼:邪馬台国の女王。大陸の資料に名を残すなど共通点が多い。