概要
現在及び歴史上のフランス国民・市民を指す。広義にはフランス語(言語学上はラテン系グループ)系の諸語を母語とする者も意味する。そのためフランスの大航海時代による海外進出以前より、ベルギーやスイスなどに定着したフランス語圏の人々もフランス人あるいはフランス系と呼ぶ。
フランス人の歴史的背景
フランス人(les Français)というのは民族では無く、どちらかというとフランス共和国の市民という意味に近く、それはこの国の歴史的背景と関係する。フランスという名はフランク族の国であるフランク王国(Royaumes francs)に由来し、歴代のフランス王は初代フランク王クローヴィス1世の正当後継者を自称しており、政治的にはフランスとはゲルマン人フランク族の国になる。しかしフランス史記事にも詳述されているが、中世フランスは無数の諸侯が分立する地域であって、統一国とは呼び難かった。百年戦争の後にはフランス王はほぼ全土を支配するようになっていくが、これも国王の所領という意味が強く、統一国ではない。また、住人の遺伝子的には所謂ケルト人の血筋が濃く、ゲルマン人の後継であるドイツ人とはやや異なる。
主要言語であるフランス語は、イタリアのローマ帝国で用いられていたラテン語から変化したロマンス諸語の1つである。しかもこのフランス語はフランス国内ではオイル語と呼ばれる主に北部で用いられる言語の1つに過ぎず、南部にはオック語、東部にはアルピタン語といった独自の言語がある。このようにフランス人には民族的な意味の統一的アイデンティティは元々薄かった。
さらに、近隣のドイツやイタリアなどだけではなく、東欧や時にアフリカなどからも有史以来多数の移民が流入を続けており、「フランス民族」というアイデンティティが定着する余地は乏しかった。20世紀前半には外国出身者の比率が同時代のアメリカを上回り、現代では4人に1人の祖父母が移民であるともいう。ポーランドの作曲家フレデリック・ショパンやスペインの画家パブロ・ピカソなど、フランスで活躍した著名人にも他国の出身者が多い。より正確には、フランスには移民とは区別されるフランス民族は存在しない。
ヨーロッパ全体にもある程度言える事だが、特にこの地にはケルト人・ゲルマン人・ローマ人などの文化的背景の異なる民族が、考古学でしか調べられない太古から多数移住あるいは征服を繰り返している。しかもケルトやゲルマンといった区分も、実態は無数の異なる文化を持つ諸部族・移住者の群れを大まかに大別した名称に過ぎず、一言で言えばフランスとは無数の移民居住地の集合体に近い。
フランス革命による転換
しかし、フランス革命でこれらの状況が変わる。対フランス大同盟が結成されて全ヨーロッパからの武力侵攻に晒されたフランス議会は、民衆に国というまとまりへの忠誠を求める事で一体的な防衛をなそうと試みた。後に世界に広まるナショナリズムの誕生である。この戦争で台頭したナポレオン・ボナパルトはフランス・ナショナリズムを自らの権力の源泉とし、それを支える為に当時は半ば忘れられていた伝説に着目する。これが救国の英雄ジャンヌ・ダルクの伝説であり、実はジャンヌの名声はかなりナポレオンの再評価に依っている。
革命政府は地域ごとの言語の違いについても統制に乗り出し、北部のオイル語を元にして公的に定めた「フランス語」を学校教育などを通じて他言語地域に広める。その結果、フランス各地の地域言語は年々話者が減少し現代ではその多くが存続の危機に至っている。現代フランス政府は地域言語の使用を容認する立場をとっているが、公用語はフランス語に限定し欧州評議会が定めた地域少数言語憲章も施行されていない。
現代のフランス人
こうして現代に至るまでフランス人のアイデンティティは、フランス革命によって創出されたフランス市民の概念と不可分となっており、民族は多様でも国民としては一体性が強調されるようになった。東ヨーロッパの民・アフリカの民・中東の民・誰でも共和国の理念に賛同しさえすればフランス人となれる機会がある。フランスの国籍法では例えば両親とも外国籍でも5年の滞在歴があり、安定就労する成人はフランス語能力・共和国の価値に対する理解によってフランス国籍を申請できる。
旧フランスの植民地だったアフリカ国家が公用語としてフランス語が多く使われていた背景と上記の制度があることからアフリカ系の移民も多く、日本人がイメージするヨーロッパ系だけでなく、アフリカ系のルーツを持つフランス人も多い。
スポーツの国際大会では移民や移民二世にあたる選手が国際大会でフランス代表として活躍し、国民的スターになっている例もある。
しかしこのようなフランス人の理念は、彼らが出身地で保有していた文化と鋭く矛盾する危険性をも秘めている。公立学校でイスラム教徒の少女が、宗教的な理由でスカーフを着用禁止にされた事件を取り上げてみよう。日本では一般には宗教差別と解釈されがちだが、フランス国内では別の論理が主張された。エリザベト・バダンテールらによると、この少女は政教分離に違反したというのであり、公然と宗教的スカーフを着用するのは公立学校での宗教的な行いを禁止する原則に反するというのだ(エリザベト・バダンテールほか.Le Nouver Observateur, 2-8, November 1989.)。日本では政教分離は一般に学校側の義務だが、フランスは生徒にも厳しく求める。もちろんキリスト教徒はこっそり十字架などを隠し持ち込んでいるといった異論もあるが、日本とは人権の考え方が少し異なる事は、互いの価値観を認め合う上で重要であろう。そして、フランスにおいては、共和国の理念に賛同するかどうかは「フランス人」と呼ばれるかどうかというアイデンティティに関わる深刻な問題なのだ。
フランス人と文句
沈没から救う為、客を船から海に飛び込ませたい。相手がフランス人ならどう告げれば成功するか。 「飛び込んではいけません」 (エスニックジョーク)
2024年パリ五輪閉会式で、大会組織委員長は「フランス人は文句ばかりいうと言われます」と語っている。ウォールストリート・ジャーナルは「この五輪の最大の驚きは、あのフランス人が文句を言わなかった事だ」と評した。フランス滞在者の記述でも同様のフランス人一般に対する感想は頻出し、フランス人は文句を言うというのは自他共に認める国民性らしい。
そして口頭での文句が年中行事のようなストやデモという行動に発展する。ならば、さぞバラバラの国か崩壊国家かというとさにあらず。チームプレイを求められるサッカーでは二度に渡りワールドカップを獲得し、多数の人員の協力と分担が求められる航空機産業でもエアバスに代表されるように得意としている。少なくともフランスには、日本とは異なる社会統合の原理が働いているとは言えるだろう。
ーーフランスはデモやストライキが日常的に多い。公共交通などの重要インフラが止まることも珍しくない。だが、そのことにフランス人が文句を言うことはまずない。その理由を聞いてみると一言「お互いさまさ、次は俺がやるのだから」(小田中直樹.2005.「第二の謎 何故いつでもどこでもストに出会うのか」『フランス7つの謎』文春新書.)。
イメージと評価
1990年代のバラエティ番組やフィクション作品では「オシャレ」「高貴」といった美化されたイメージが蔓延していたが、SNSの発達によって「頑固」「閉鎖的」といったお世辞抜きの評価が目立つようになった。