曖昧さ回避
1の概要
フランス皇帝、ナポレオンの甥として19世紀後半のフランスで権力をふるう。
1848年の二月革命後に第二共和制の大統領に当選、1851年12月にクーデタで独裁権力をにぎり、1852年12月に皇帝に即位しナポレオン3世となる。
フランスの復興を目指し産業の保護、インフラ整備などに努めると共に、国民的支持を得るため、積極的な対外政策(クリミア戦争、イタリア介入、メキシコ出兵、中国・インドシナ進出など)を進めたが、最後はビスマルクのプロイセンとの普仏戦争に敗れ、1871年に退位。
評価
正直に一言で言えば戦争が下手くそであった。
叔父のナポレオンが絶大すぎるゆえ、暗君や暴君扱いされがちだが、内政面では優秀だった。
下水道及び水洗式トイレの設置を勧め、これにより、忌まわしきペストの発生は抑えられた。
また、鉄道網や港湾設備の大整備を行い、国内流通と海外貿易の便を改善してフランス経済を発展させた結果、自身の敗戦で課せられた賠償金の短期間完済に成功したのは皮肉である。
戦争が下手と言っても、普仏戦争時点でプロイセン軍に対してフランス軍が分が悪い事は重々理解しており、その数年前に軍隊の改革案を議会に出したり、普仏戦争の直接の原因となったスペインの王位継承問題でも外交と説得でプロイセン王族のスペイン王位継承を阻止して戦わずして目標達成したりするところまで漕ぎつけたが、前者は議会の説得失敗、後者は好戦派に煽られた国民を抑えきれなかった結果、敗戦を招いてしまった。
イタリアのベニート・ムッソリーニと共通点が多く、共に国民の人気を背景に独裁政権を築いたが、その後も国民の人気取りに走らざるを得なかった点や、内政面ではなかなかの業績を残しながら、外交や軍事面で失敗して失脚した点が共通する。これをイタリア人やフランス人に言うと怒られるので、注意が必要である。
2の概要
ジュニアユース編では決定力不足に悩むフランスの起爆剤として起用された。
日向と並んで攻撃的な激しい性格で短気。素質や実力はあるが問題行動も多い。
そんな彼の起用をピエールは危惧していたが、代表入り後は危険なプレイでイエローカードを貰う事はあっても、問題行為は減った模様。
必殺シュートは「キャノンシュート」。
また、エル・シド・ピエールとのコンビでフィールドをエッフェル塔に見立てたパス戦法「エッフェル攻撃」や、ゲームオリジナルにおいてピエールとのツインシュート技「スライダーキャノン」を使う。
関連タグ
参考
- 世界史の窓