概要
12世紀後半のイングランド王であったプランタジネット家のヘンリー2世は元々フランスのノルマンディー公でもあった為にフランス王国内にも広大な所領を有しており「アンジュー帝国」とまで呼ばれた。このような状況に対しフランス王フィリップ2世はフランス国内における王権・王領の拡大に尽力してイングランド王国と抗争を繰り広げ、ヘンリー2世の末子であるジョンがイングランド王となった後はイングランド王国から大陸内の領土を多く奪っていた。
この状況に対してジョンは神聖ローマ皇帝オットー4世やフィリップと対立していたフランドル伯フェランやブーローニュ伯ルノー・ド・ダマルタンと手を組み、大陸内の領土回復を図った。
方針としてはジョン率いるイングランド軍がフランス南部に上陸してフランス王領を攻略しつつ北上し、神聖ローマ帝国軍やフランドル伯の連合軍が北部から侵攻してフイリップ2世を挟撃するという物であったが、ジョン率いるイングランド軍は王太子ルイ(8世)率いるフランス軍に撃退されて撤退し、フィリップ2世率いるフランス軍がオットー4世らの連合軍をブーヴィーヌで迎え撃つ状況となった。
フランス軍はフィリップ2世を中心に統一された指揮体制で三つの部隊に分かれて陣形もしっかりしていたのに対し、連合軍はそれぞれの連携が取れずに各勢力の舞台が順々にフランス軍に攻撃して各個撃破される最悪の事態となりフランス軍の大勝利となった。
この戦いによってイングランド王国は大陸における勢力をほとんど失い、神聖ローマ皇帝オットー4世は退位した。一方でフランス王フィリップ2世は国内における王権の影響力を強める事に成功した。
関連人物
フランス軍
- フィリップ2世(1165年~1223年)
フランス国王でありフランス軍の総大将。
- ゲラン(1160年~1227年)
サンリス司教。
フィリップ2世の側近で聖ヨハネ騎士団に属していた経験を持ちフィリップ2世に軍事面の助言を行った。
- ロベール2世(1154年頃~1218年)
フランスのドルー伯。
フィリップ2世の従兄弟にあたりブーヴィーヌではフランス軍の左翼を指揮した。
- フィリップ(1156年頃~1217年)
ボーヴェ司教。
ドルー伯ロベール2世の弟。
聖職者ながらも鎧で武装し槌矛を振り回して戦ったとされる。
- ウード3世(1166年~1218年)
フランスのブルゴーニュ公。
勇猛で馬2頭を失いながらも奮戦した。
- ピエール2世・ド・クルトネー(1155年~1229年)
フランスのオーセール伯。
フィリップ2世の従兄弟にあたり後にラテン帝国皇帝となる。
連合軍
- オットー4世(1175年~1218年)
神聖ローマ皇帝。
- フェラン(1188年~1233年)
フランドル伯。
ポルトガル王サンシュ1世の子でフランドル女伯ジャンヌと結婚してフランドル伯となる。
戦いで捕虜となった。
- ルノー・ド・ダマルタン(1187年~1227年)
ブーローニュ伯。
戦いで捕虜となった。
- ウィリアム(1176年~1226年)
イングランドのソールズベリ伯。長剣伯。
ヘンリー2世の庶子でジョン王の異母弟にあたる。
戦いで捕虜となった。