概要
小さな鎖を編んで造られた鎧の一種。古代から中世にかけての世界各地で使われた。
特徴
刀剣など斬撃系の攻撃に対して防御力を発揮する物であり、革製の鎧に比べて丈夫かつ、他の金属製鎧に比べて柔軟性が高く動き易く、高い通気性も有り着る際の負担が軽い。(ただしコート状の形状から「全ての重量が肩に伸し掛かる」構造であり、各パーツを分割して装着できるプレートアーマーの方が重量自体は重くても負担は軽かったと言う説もある)
また刀剣や槍による刺突攻撃や比較的威力の低い短弓相手には有効に働くものの、騎兵突撃時の刺突攻撃や高威力の長弓・複合弓、元から鎖帷子を貫く目的で作られたエストックには対抗できなかった。
さらにメイスなどの打撃武器に対しては、ビニール袋に入った煎餅を(袋は無傷のまま)割るかの如く無力なため、下には衝撃吸収用のコットンアーマー(綿入り半纏)を着ている事が多い。
そもそも頭に直にコイフ(鎖帷子のフード)を被ったら確実に髪の毛が鎖に絡まるため、あらかじめ布製のフードを被って髪を守るのが常識である(ロマンの無い事を言えば、タイトル画のキャラはコイフを脱ぐ際に確実に痛い目を見る)。
細かく編まれた鎖帷子は作る手間も掛かる為プレートアーマーほどではないが高価であり、貧乏人は代用品として直径3cm前後の金属製のリングを皮鎧に縫い付けた簡易版であるリングメイルを使っていたが、こちらは隙間が大きくなっている分、刺突武器に対しての防御力は低下している(当時の技術では、針金は作れても板金(いたがね)は作れなかった)。
また中世では高価な事から子孫が受け継げる様にフリーサイズであり、創作作品みたいなピチピチサイズなことは基本的に無い(そもそも下にコットンアーマーを着る(=着膨れする)事が前提だし)。
時代が下り、より丈夫なプレートアーマーが作られるようになると、その鎧下の一部として使用された。これは蛇腹関節が発明される前の時代に間接部の柔軟性と防御力の両立をするためである。
西アジアでは通気性の良さや、機動力が長けた軽装騎兵を重要視したため、鎖帷子が好まれ、板金で補強したタイプのモノも使われた。
日本を含む東アジアにおいては、早い段階でスケールメイルや小札鎧(ラメラーアーマー)が発達、主流になっていたため補助的な扱いであった。とはいえ、ヨーロッパ地域に見られるような鎖帷子と小札鎧などの異なるタイプの鎧の重ね着は、室町時代の武士にも例があるため、運用法がそこまで違うというわけではない。
ただ日本の場合、どちらかといえば和装の服の下に目立たない形で着用する事が可能かつ想定される相手の得物が斬りを重視した日本刀のケースが多かった為赤穂浪士や勤王の志士、新撰組がよく使用したことのほうが有名かもしれない。
忍者も好んだと良く言われるが、こちらはほぼ創作である。
歌舞伎においては黒い絹糸を網目状に編んだ素網という衣装が用いられており、当時の浮世絵にも描かれている。 巣網 コトバンク
現代でも銃弾には強いがナイフには弱い防弾チョッキと組み合わせて使用されるケースも有る。なお防弾チョッキはコットンアーマーの役割も兼ねている