曖昧さ回避
演目「敦盛」
平敦盛の最期は『平家物語』の名場面として有名であり、能・幸若舞・謡曲の演目となっている。
幸若舞(あらすじ)
治承・寿永の乱(源平合戦)の一戦である須磨の浦における「一ノ谷の戦い」で、敗走をはじめた平家軍の武将平敦盛は、退却しそびれ、源氏方の武将熊谷直実に一騎討ちを挑まれ、応じざるえなくなってしまう。
その勝負には百戦錬磨の直実が勝ち、敦盛は頸を討ちとられる。
そのとき直実は敦盛がこの一ノ谷合戦で討死したばかりの息子・熊谷直家と同じ16歳と知り、思わず面影を重ね合わせてしまう。
彼は将来ある若武者敦盛を討ったことを悔やんでも悔やみきれず、出家することとなる。
「人間五十年、下天(化天)の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」
直実が出家して世をはかなむ中段後半の一節。
「下天(化天)」とは、六欲天(いまだ欲望に捉われる6つの天界)の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。
意味は、「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」である。
織田信長がこの節を特に好んで演じたと伝えられている(参照『信長公記』)。本能寺の変において臨終の折に舞った、というのは俗説に過ぎないが根強い支持があり、大河ドラマ等でも馴染みの深い表現となっている。とりわけSLG『信長の野望』シリーズでは本能寺の変が起こる1582年開始のシナリオ名を「夢幻の如く」と冠するのが定番となっている。
能
二番目物、公達物。
平家物語の「敦盛最期」の章をもとに、世阿弥が編作した。
出家した熊谷直実が平敦盛の菩提を弔う秋八月でのお話。