概要
46年の長期にわたる在位の中で13回もの対外遠征を行い、数多くの軍事的成功を収めてオスマン帝国を最盛期に導いた。
英語では「壮麗帝(the Magnificent)」のあだ名で呼ばれ、日本ではしばしばスレイマン大帝と称される。
トルコでは法典を編纂し帝国の制度を整備したことから「立法帝(カーヌーニー、 オスマントルコ語: القانونى, ラテン文字転写: al‐Qānūnī, トルコ語: Kanuni)」のあだ名で知られている。
名前のスレイマン(Süleyman)とは、ユダヤ教やキリスト教と共にイスラム教でも聖典とされる旧約聖書に記録された古代イスラエルの王、「ソロモン王」のアラビア語形である「スライマーン」(アラビア語: سليمان, Sulaymān)のトルコ語発音である。
またオスマン帝国の歴史において「スレイマン」の名を持つ最初の皇帝であることから「スレイマン1世」と呼ばれるが、まれにバヤズィト1世がアンカラの戦いでティムールに敗れた直後にエディルネで即位した長男スレイマン・チェレビーを1世に数えることがあるので、その場合は「スレイマン2世」と呼ばれることもある。