概要
1700年代にカリブ海を荒らし回ったイギリスの海賊。本名はエドワード・ティーチもしくはエドワード・サッチとされているが、海賊は親族に迷惑がかからないように偽名を用いることが多かったため、はっきりとしていない。
同じくイギリスの海賊ベンジャミン・ホーニゴールド(荒くれ者ではあったが海賊としては穏便なほうであった)の部下として名をはせ、彼が引退した後に彼の船団の指揮を引き継いだ。残忍かつ冷酷な性格だったと云われているが、その一方で狡猾な知恵者でもあったとされる。
有名な逸話としては次のような話がある。
ある日、黒髭が部下2人と一緒に酒を飲んでいた。すると黒髭はおもむろに拳銃を取り出し、弾を装填し始めた。部下のうち1人は気にせず酒を飲み続けたが、もう1人は黒髭の性格をよく知っていたため即座に逃げ出した。
黒髭は装填作業を終えると、逃げなかった方の部下の脚をいきなり撃ち抜き、「こうでもしないと、お前らは俺が誰だか忘れちまうだろ」と言い放った。
またある時、黒髭は「この世に地獄を再現してみよう」と言い出し、部下たちと共に船倉に籠って硫黄を燃やした。呼吸困難になりかけて逃げ出す部下たちを見て、黒髭は「俺が一番長く地獄に耐えた」と自慢したという。
そして黒髭は船を襲う際、自らを相手から畏怖されるように、何丁ものナイフやピストルを身につけ、豊かなヒゲを三つ編みにした先に火をつけた導火線をくくりつけて煙を上げるという異様な格好をしており、その外見から「黒髭(Blackbeard)」と渾名され恐れられた。
彼が襲撃時に行ったその装いは、後に現代における“海賊”のステレオタイプなイメージを生み出しており、漫画「ONEPIECE」、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」第四作などに彼をモデルにしたキャラクターが登場している。
来歴
生年ははっきりしないが1680年頃と考えられている。海賊になるまでのことはほとんど分かっておらず、チャールズ・ジョンソンの『海賊史』ではスペイン継承戦争中にイギリスの私掠船に乗っていたとされている。
1700年代初期、カリブ海のニュープロビデンス島の統治機構が衰退したため、多くの海賊がここを拠点として、やがて海賊共和国を自称した。この頃黒髭も島に来ていて、ベンジャミン・ホーニゴールドの手下になった。1716年には砲6門のスループ船の船長に任命されている。
アン女王の復讐号
1717年11月、黒髭はスペインの大型奴隷輸送船ラ・コンコルド号を捕らえ、積まれていた莫大な金銀財宝を略奪した。そして黒髭はホーニゴールドの許可を得て船の自分の物にすると、40門の大砲を搭載しアン女王の復讐号(Queen Anne's Revenge)に改名した。海賊船は砲6〜12門程度の小ぶりな船が普通であったため、これは海賊船としては異例の重武装大型船であった。ネーミングはどういう意図だったのかは分からないが、アン女王は黒髭が私掠船乗りだったとされる時代の英国女王であり、この出来事の3年前に死去している。
ホーニゴールドの引退と前後して独立した黒髭は数々の略奪を行い、アン女王の復讐号と共に名を馳せていった。
黒髭海賊団
黒髭率いる海賊たちは商船を略奪したり、砲撃戦の末に軍艦を撃退したりと大暴れし、スペイン領のアメリカ植民地へと向かう。そこで海賊船リベンジ号を率いるスティード・ボネットと出会い、行動を共にすることになった。
しかし、黒髭はあることに気づく。このボネットという男は海賊としても船乗りとしてもド素人だったのだ。当時の海賊は誰かの手下として手柄を立て、自分の船を手に入れて独立するのが普通だったのだが、ボネットは元々裕福な商人で、突然アウトローに憧れて(妻との不和が原因とされる)いきなり自分の海賊船を買ってしまったのである。
抜け目のない黒髭は彼を自分の船に客分として招き、こう言った。
「あんたは俺の船でのんびりしてなよ。なぁに、あんたの船は俺の手下に任せておけば心配ないさ!」
……こうして、黒髭はリベンジ号を体良く乗っ取ったのである。
1718年5月、黒髭たちはサウスカロライナ植民地の港町・チャールストンを海上封鎖し、出入りする船5隻を拿捕・略奪する。そして乗組員を人質として、サウスカロライナ植民地政府に医薬品を要求、従わなければ人質を皆殺しにして首を総督へ送りつけると宣言した。
当時の船乗りにとって医薬品は貴重かつ重要なものだったが、黒髭がなぜ医薬品を要求したのかは不明である。本当に必要だったのかもしれないが、単に植民地政府を恫喝したという武勇伝が欲しかったのかもしれない。
いずれにせよ植民地政府は止むを得ず要求をのみ、黒髭の方も約束通り人質を解放した(身につけていた金品は奪ったが)。
同年6月、黒髭たちは船の整備をするためノースカロライナのボーフォートの入江に向かう。しかしそこでアン女王の復讐号が座礁し、再起不能になってしまう。
しかし後の裁判でリベンジ号の乗組員が「船の座礁は黒髭が意図的にやった」と証言している。当時、カリブの海賊たちは戦利品を山分けしていたが、黒髭の海賊団は人数が増えすぎて1人あたりの取り分が減ってきたので、リストラの口実を作るためにわざと船を減らしたとされる。
またアン女王の復讐号はただでさえ大型で見つかりやすく、しかも有名になりすぎたため、海賊船としては使い勝手が悪くなっていたのも理由と思われる。
この頃イギリスの王室から海賊に恩赦が出るという話があった。現に黒髭の元上司であるホーニゴールドは同年に降伏して恩赦を受け、海賊ハンターに転身している。
しかし許されるのは1718年1月5日以前の罪とされていたため、恩赦を受けに行ってもチャールストン封鎖の件で処刑される可能性があり、また大目に見てもらえる可能性もあった。そこでボネットがノースカロライナのイーデン総督の元へ赴き、試しに降伏してみることになった。ちなみにこの頃、ボネットはリベンジ号の指揮権を返されていたが、イーデン総督の元へは小舟で向かった。結果、ボネットは無事恩赦を受けられたが、ボーフォートまで戻ってきて愕然とした。黒髭はリベンジ号の物資と船員の大半を奪い、さっさとトンズラしていたのである。
ボネットはその後黒髭が近くへ置き去りにした船員を救助して配下に加え、自分を弄んだ黒髭への復讐を目論んだ(勝てると思っていたのだろうか?)ものの、紆余曲折の末に逮捕され、12月に処刑された。
その後、黒髭もまたイーデン総督に降伏して恩赦を受けるが、すぐに海賊行為を再開した。本来なら恩赦が取り消されるはずだが、黒髭はイーデンと取引をしていたため黙認された。
大海賊の最期
そんな黒髭だが、1718年11月21日にとうとう最期の時が訪れる。ロバート・メイナード中尉(大尉とも)の率いる英国海軍の討伐隊(武装スループ船2隻、水兵60名ほど)がオクラコーク島の隠れ家を急襲したのだ。
海賊たちはちょうど宴会の翌日だったため眠りこけていたが、それでも黒髭は部下たちを叩き起こし、果敢に砲撃して討伐隊に損害を与えた。そして敵船上に動ける水兵が少ないことを見て取ると、乗り込んで白兵戦に持ち込んだ。
しかしそれは罠だった。メイナードは甲板の下に水兵たちを隠し、黒髭を自分たちの船へ引き込んだのである。黒髭たちが乗り込んできた直後、水兵たちは即座に甲板へ飛び出して大乱戦になった。
海賊団は数で負けていたにもかかわらず奮戦し、黒髭はメイナードと直接対決した。2人はフリントロック式拳銃で撃ちあった後に剣での勝負となり、黒髭がメイナードの剣を叩き折った。メイナードが再び銃に弾を込めようとしたところを黒髭は追撃するも、割って入った水兵に首元を斬られてしまう。
さらに銃弾を受けながらも、黒髭は多数持っていた拳銃を撃ち続けた。だが合計5発の銃弾、20箇所の刀傷を受けてついに絶命した。
残った海賊たちは降伏し、黒髭の首はメイナードの船の船首に掲げられた。
関連動画
噓みたいな雑学YouTube・Shorts動画
関連タグ
黒ひげをモチーフにしたもの
- 海賊を模した人形の入った樽に剣を刺していくというゲーム。→黒ひげ危機一発
- ONEPIECEに登場するキャラクター。→マーシャル・D・ティーチ
- 映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの登場人物。→黒ひげ(パイレーツ・オブ・カリビアン)
- 『Fate/Grand Order』に登場するサーヴァント。→エドワード・ティーチ(Fate)
- 『SDガンダムワールドヒーローズ』に登場するSDガンダム。なお、ベンジャミンモチーフの方も存在する。→エドワードセカンドV