プロフィール
品種 | サラブレッド |
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性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
誕生日 | 1996年1月20日 |
死没日 | 1999年4月1日 |
父 | エーピーインディ |
母 | ゲーリックチューン |
母の父 | Danzig |
5代内のインブリード | Bold Ruler5×4×5 |
産地 | アメリカ合衆国ケンタッキー州 |
管理調教師 | 藤沢和雄(美浦) |
生産地 | Symboli Stud |
馬主 | シンボリ牧場 |
経歴
ゲーリックチューンはエーピーインディとの間に子を宿した状態で和田孝弘氏に購買され、孝弘氏の下へやってきた後にシンボリインディが生まれた。生後にはアメリカでトレードの申し出もあったが、日本で競走デビューすることとなり、藤沢和雄厩舎へ預けられた。
1998年11月にデビュー。惜しくも2着に敗れるが2週後のレースで勝利。12月のひいらぎ賞でも1着に輝いた。3戦2勝2着1回。
1999年は4月のマーガレットステークスより始動し1着。NHKマイルカップでも勝利するが、年末の有馬記念は14頭立ての14着に沈んだ。3戦2勝。
2000年は前年までと比較すると出走回数が大幅に増え、東京新聞杯、フェブラリーステークス、京王杯スプリングカップ、安田記念、札幌記念、京成杯オータムハンデキャップ、スプリンターズステークス、スワンステークス、マイルチャンピオンシップへと出走。しかし勝利は京成杯オータムハンデキャップだけで、掲示板内の着順になったのは京王杯スプリングカップ、札幌記念、スワンステークスの3戦だけに留まった。9戦1勝2着1回。
2001年は4月のダービー卿チャレンジトロフィーより始動する。しかしゲート入り後にゲート内で暴れ、ゲートを潜り出てしまう。ゲートの外で座り込み暴れる姿を見た観客はこの時「シンボリインディが暴れてるな」ぐらいの気持ちで見ていた。しかし立ち上がった彼の姿を映したターフビジョンの映像を前に誰もが絶句する。
シンボリインディの右後脚が完全に折れていたのだ。
それでも3本脚で立ち上がったシンボリインディ。鞍上を務めるはずだった岡部幸雄騎手は現場を振り向くこと無く、鞍とゼッケンを持ってターフを去った。この様子はテレビ中継でも全国放送されていた。
右下腿骨開放骨折により予後不良と診断され、駆け抜けるには早すぎたゴール板の前を駆け抜けてしまった。
京王杯オータムハンデでの復活勝利そして最後の場面は、同じ岡部騎手がかつて騎乗していたマティリアルと重なってしまった。