概要
主な勝ち鞍はベルモントステークス(1992年)、BCクラシック(1992年)など。
シアトルスルーの代表的な後継種牡馬として知られ、日本でもダート路線での影響力が大きい。
プロフィール
性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
父 | シアトルスルー |
母 | ウィークエンドサプライズ(母父:セクレタリアト) |
生産者 | ウィリアム・スタンプス・ファリッシュⅢ世とウィリアム・S・キルロイ(レーンズエンド・ファーム) |
馬主 | 鶴巻智徳 → ウィリアム・スタンプス・ファリッシュⅢ世とウィリアム・S・キルロイ |
調教師 | ニール・ドライスデール |
生涯成績 | 11戦8勝 |
略歴
1989年
3月31日、ケンタッキー州のレーンズエンド・ファームに誕生。
父はアメリカ三冠馬のシアトルスルー。母のウィークエンドサプライズは現役時代31戦7勝(GⅢを2勝)という成績だったが、父親がアメリカ三冠馬のセクレタリアトであった。
幼少期から雄大な体格を誇った。
1990年
7月、キーンランド・セールに出品された。半兄サマースコールがプリークネスステークス(GⅠ)を勝つなど活躍しており、同年の最高額となる290万ドルで鶴巻智徳の代理人ノエル・オコーラガンに落札され、鶴巻の所有馬となった。
鶴巻はこの年に日田市(大分県)にF1開催を目的にサーキット「オートポリス」を開設して話題となっていたバブル紳士だった。「オートポリス」に因んで「A.P.」を冠名として使用しており、インディ・カー選手権と組み合わせ、仔馬は「A.P. Indy」と名付けられた。
1990年
ニール・ドライスデール調教師(カリフォルニア州)に預けられ、主戦騎手はエディ・デラフーセイとなった。
8月24日、デルマー競馬場(カリフォルニア州)の未勝利戦でデビュー。シャープバンディットの4着に敗れる。その後、停留精巣なのが判明し、手術で胎内に停留した精巣を摘出する。
10月27日、サンタアニタパーク競馬場(カリフォルニア州)の未勝利戦に出走し、初勝利。
12月4日、ベルモントパーク競馬場(ニューヨーク州)の一般競走に出走し1着。
12月22日、ハリウッドパーク競馬場(カリフォルニア州)のハリウッドフューチュリティ(GⅠ)に出走。ダンスフロア、スターオブザクロップ、リアルウエスト、チューリッヒ、カジュアルライズといった実力馬が参戦していたが、直線一気の追い込みで1着。GⅠ初制覇となる。
1991年
2月29日、サンタアニタパーク競馬場のサンラファエルステークス(GⅡ)に出走。後続を9馬身も引き離したトリークスターとの叩き合いを制し1着。
4月4日、サンタアニタパーク競馬場のサンタアニタダービー(GⅠ)に出走し1着。
5月、チャーチルダウンズ競馬場(ケンタッキー州)のケンタッキーダービー(GⅠ)に出走するため東海岸へ向かう。断トツの1番人気だったフランス調教馬アラジの対抗馬として評価されていた。
5月4日、ケンタッキーダービー当日朝、左前脚に挫石を発症して出走取り消し(レースではアラジが8着に敗れ、1着はストライクザゴールド)。プリークネスステークス(GⅠ)も回避し治療に専念することになる。
5月24日、ベルモントパーク競馬場のピーターパンステークス(GⅡ)で復帰。2着コロニーライトに5馬身半差をつけて圧勝。
6月6日、ベルモントパーク競馬場でベルモントステークス(GⅠ)に出走し1着。秋まで休養に入る。
9月13日、ウッドバイン競馬場(オンタリオ州)のモルソンエクスポートミリオン(カナダGⅡ)に出走。マークしていたテクノロジーの反応が悪く6番手で直線を向く羽目になり、ベンバーブの5着に敗れる。
10月10日、ベルモントパーク競馬場のジョッキークラブゴールドカップ(GⅠ)に出走。 大きく出遅れて最後方からの競馬となり、プレザントタップの3着に敗れる。スタートで躓いた際、左前脚の古傷を悪化させてしまった。
10月31日、ガルフストリームパーク競馬場(フロリダ州)のブリーダーズカップ・クラシック(GⅠ)に出走し1着。このレースを最後に現役を引退。エクリプス賞年度代表馬に選出される。
1992年
バブル崩壊により日本オートポリス社が倒産し、鶴巻はエーピーインディをレーンズエンド・ファームに売却せざるを得なかった。生まれ故郷のレーンズエンド・ファームでの種牡馬入りとなる。初年度産駒は45頭だったが、13頭がステークス・ウイナーとなった。
2000年
アメリカ競馬殿堂入り。
2003年
北米リーディングサイアーとなる。
2006年
北米リーディングサイアーとなる。
2011年
受精能力の低下により種牡馬を引退。後継種牡馬として初年度産駒のプルピットがその産駒タピットを経由してサイアーラインを伸ばしている。功労馬としてレーンズエンド・ファームに繋養され余生を過ごす。
2020年
2月21日、レーンズエンド・ファームで死亡(31歳)。
主な産駒
マリブムーン、マインシャフト、バーナーディニ、マジェスティックウォリアーなどの活躍馬を輩出。
母父としてはスーパーセイヴァー、マラサート、カレンミロティックなどの活躍馬を出している。
日本に輸入された産駒ではシンボリインディなど4頭が重賞馬になっている。