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データ

性別
生没年1972.4.14-1975.7.6(享年3)
血統父:Reviewer/母:Shenanigans(by ネイティヴダンサー)
毛色黒鹿毛
馬主
調教師(USA)

概要

生い立ち

クレイボーンファームで生まれる。

「ラフィアン」(暴れん坊、じゃじゃ馬)と名付けられたが、名前に反して実際は素直な馬だったらしい。

競走馬時代

初戦で勝ち上がり、G3を連勝後ソロリティSでG1初勝利。続くスピナウェイSも制覇後、骨折して2歳シーズンを終える。

3歳はオープン戦から復帰し、カムリーS(G3)からエイコーンS・マザーグースS・CCAオークスのニューヨークトリプルティアラを達成。次走でフーリッシュプレジャーとのマッチレースでレース中に故障し予後不良となった。

死亡後

エクリプス賞では74年最優秀2歳牝馬・75年最優秀3歳牝馬。

76年には生前の功績をたたえ競馬殿堂入りとなった。

後世への影響

  • ラフィアンの死後、マッチレース方式は行われなくなった。
  • 後にラフィアンの名を冠した牝馬限定重賞が新設され、現在はラフィアンハンデキャップの名称で行われている。
  • オーナーブリーダーの岡田繁幸氏はクレイボーンファームでの修業時代にデビュー前のラフィアンを見ていて、早くから才能を見抜いていた。後に帰国し、岡田氏は設立した一口クラブにラフィアンの名を冠する「サラブレッドクラブ・ラフィアン」と名付けている。

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テスコガビー同世代の日本の名牝。

ゴーフォーワンド…3歳時点で連対率100%を誇り、GⅠを12勝し「ラフィアンの再来」とも呼ばれた90世代の牝馬。しかし、BCディスタフ右前脚複雑骨折を起こして競走中止。そのまま予後不良となってしまい、ラフィアンと同じような最期を辿ってしまっている。

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