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第57回東京優駿

だいごじゅうななかいにっぽんだーびー

1990年(平成2年)5月27日に開催された57回目の日本ダービー。アイネスフウジンが逃げ切り勝ちして約19万人のファンらが大歓声をあげた。
目次 [非表示]

中野栄治若者には負けてられない


※メイン画像は本レースの優勝馬・アイネスフウジンのウマ娘化イラスト。


概要編集

開催日1990年(平成2年)5月27日
開催地東京競馬場
距離芝2400m
天候
馬場

開催前までの動き編集

前年末の朝日杯3歳ステークスをレコードタイで勝利し、クラシックの中心と位置付けられていたアイネスフウジンだったが、第50回皐月賞ハクタイセイ(父ハイセイコーとの父子制覇を達成)に敗れて2着。

この敗戦で「騎手を変えろ」という声も挙がったが、アイネスフウジンを管理する加藤修甫調教師は「騎手のせいではない。ダービーもそのままだ。」と庇った。

アイネスフウジンの主戦騎手・中野栄治は当時既に36歳とベテランの域に入っており、騎乗数が年々減少していたことから引退も考えていた。


迎えたダービー当日。折からのオグリブームもあり、史上最多の19万6517人という文字通りの大観衆が東京競馬場に詰めかける中、アイネスフウジンの単勝は3番人気。これについて中野は、「馬券が買えるなら借金してでもアイネスフウジンを1番人気にしてやりたい」と言った。

(注:八百長防止の観点から、騎手調教師は競馬法で馬券が買えない。)


1番人気に推されたのは、メジロ牧場の期待株メジロライアン(鞍上:横山典弘)だった。

これまでメジロ牧場は1961年(メジロオー)、1983年(メジロモンスニー)、1988年(メジロアルダン)と3度に渡って2着に阻まれたため、ライアンに悲願を託したのである。

2番人気は皐月賞馬ハクタイセイ。騎手は皐月賞での南井克巳から、飛ぶ鳥を落とす勢いの若き天才・武豊に代わった。


出走馬編集

枠番馬番馬名騎手人気
11ロングアーチ南井克巳6
12シンボリデーバ田原成貴7
23ビッグマウス柴田政人9
24ホワイトストーン田面木博公12
35サハリンベレー菅原泰夫17
36メジロライアン横山典弘1
37ストロングクラウン増沢末夫13
48ユートジョージ岡潤一郎4
49ロンサムボーイ的場均19
410ワイルドファイアー中舘英二21
511ダイイチオイシ猿橋重利18
512アイネスフウジン中野栄治3
513ニホンピロエイブル丸山勝秀14
614メルシーアトラ河内洋5
615コガネタイフウ柴田善臣8
616ツルマルミマタオー田島信行10
717インターボイジャー松永幹夫22
718キーミノブ村本善之11
719ハクタイセイ武豊2
820カムイフジ郷原洋行15
821ノーモアスピーディ安田富男16
822ハシノケンシロウ大塚栄三郎20


レース展開編集

↑フジテレビ版(実況:堺正幸)


↑JRA公式版


レース結果編集

着順枠番馬番馬名着差人気
1着512アイネスフウジン2分25秒33
2着36メジロライアン1と1/41
3着24ホワイトストーン1と1/212
4着616ツルマルミマタオークビ10
5着48ハクタイセイ1と1/22

勝ちタイム2分25秒3はレースレコード(サクラチヨノオー)を1秒更新。


払い戻し編集

単勝12530円
複勝12200円
複勝6150円
複勝4730円
枠連3-5770円

「ナカノコール」編集

逃げ切り勝ちを収めて見事第56回東京優駿優勝馬となったアイネスフウジンと、ダービージョッキーとなった中野騎手だったが、アイネスフウジンは1位入線直後に躓くなどすっかり疲労困憊で、中野と共にゆっくりと戻ってきた。当時はまだウイニングランは定着していない時代、多くの馬は向こう正面からそのまま馬場を退出していったが、アイネスフウジンは同じようにできなかったため、スタンド前から退場することになる。


その時、スタンドから優勝騎手となった中野を讃える「ナカノ」の声が上がる。それはレースが終わって数分が経ちながらも、ゆっくり戻るアイネスフウジンと中野に注目してまだ多くが残っていた観客たちに波及していき、やがて19万余りの観衆による大合唱へと変貌した。これが「ナカノコール」である。

日本競馬の歴史において優勝者を讃えてその名を唱和するのは過去に前例がなかったが、「ナカノコール」以降、勝った騎手や馬の名を呼んで讃える文化が定着することとなる。


それは、それまでギャンブルとして楽しまれていた競馬が、本物の「スポーツ」として楽しまれるようになった瞬間だった。


その他エピソード編集

全てを出し尽くしたアイネスフウジン編集

ゴール後しばらく、中野は精根尽き果てたフウジンを労り様子を見ていたが、それを見ていた他の騎手からは後に「向こう正面で泣いてたんだろ」とからかわれたらしい。

またレース後フウジンの左前脚屈腱炎が判明、秋の復帰を目指したが叶わず、結果的にこのダービーが引退レースとなってしまった。


レース後のインタビューで中野は「返し馬からすごく調子が良かったので、今日はレコードぐらい出ると思った」(要約)と語っている。映像


ダービーレコードと沖厩舎の悲哀編集

5枠11番のダイイチオイシは、沖芳夫調教師が初めてダービーに送り込んだ馬。厩舎開業3年目で初の重賞馬初のGⅠ出走馬であり、期待の1頭だった。

しかしオイシは第3コーナーで競走を中止。アイネスフウジンのレコード(2:25.3)勝利を称えるナカノコールの影で骨盤骨骨折、予後不良と診断され安楽死となってしまう。


9年後、沖厩舎はナリタトップロードダービーに再挑戦し、アドマイヤベガにクビ差で惜敗するが、その勝ち時計は奇しくも第57回のダービーレコード2:25.3だった。


関連タグ編集

東京優駿(日本ダービー)


1990年クラシック三冠

第50回皐月賞ハクタイセイ

第57回東京優駿:アイネスフウジン

第51回菊花賞メジロマックイーン


【前回】第56回東京優駿(1989年) 優勝:ウィナーズサークル(郷原洋行)


【次回】第58回東京優駿(1991年) 優勝:トウカイテイオー(安田隆行)

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