概要
P-2の後継として開発された哨戒機。旅客機をベースにしているため広い機内や優れた飛行性能を有する。
長時間飛行も得意で、予備燃料を残したままでも操縦士の技量に関係なく15時間以上の滞空が可能とされ、交代要員を乗せれば無補給で長時間の作戦飛行が可能。ニュージーランド軍では21.5時間飛行した記録もあるとか。
胴体には爆弾庫があり魚雷や爆雷、機雷などを搭載するほか、主翼下には対艦ミサイルを装備する事も可能。
胴体後部からは潜水艦を探知する装備・ソノブイを投下するためのランチャーがある。
他にも、救助用のラフトを投下する事もある。
その優秀さから、アメリカ海軍の導入から50年が経過した2017年時点でも海上自衛隊を始め多くの国で主力として運用されているベストセラーである。
生誕までの物語
海神(ネプチューン)の後継を
本機はL-188旅客機をもとに開発された哨戒機で、旧式化したP-2(P2V)「ネプチューン」にかわって配備された。
原型が新しくなったこともあり、P-2の不満点はあらかた解決されている。
・旅客機ベースによる居住性の向上・機内容積の拡大
・それによる分析要員の拡充
・飛行性能の向上
なかでもエンジンがレシプロエンジンからターボプロップエンジンに変わったことは大きい。この違いは5000km(P-2J)だった航続距離が6600kmに増え、さらに巡航速度では360km/hが607km/hへと大幅向上を遂げている。おまけにエンジン基数も2基から4基となり、P-2では不可能だった巡航中のエンジン停止ができるようになった。ちなみにこのエンジンはアリソンT56系統で、これはC-130にも採用されているもの。
L-188『エレクトラ』
原型機が登場した1950年初頭はまだまだジェット機も発展途上で、たとえばDH.106「コメット」が事故を連続させた事などから、安全面・技術面からジェット機を不安視する意見も少なくなかった。
だが、レシプロ旅客機はすでに発展の余地はなく、それとてジェット旅客機はまだまだ不安がある。そこでロッキード社はC-130で培った技術を用いたターボプロップ旅客機を開発し、ジェット旅客機がより安全になるまでの「つなぎ」にしようと考えた。こうして1954年、L-188「エレクトラ」の開発は始まった。初飛行は1957年で、これなら上手く旅客機のシェアを奪えるだろうと見込まれた。
だが1958年、ボーイングが先鞭をつけて開発したジェット旅客機ボーイング707がニューヨーク~パリ間路線に就航。この旅客機はそれまでよりも乗客を多く運べ、さらに2倍も速く飛行できた。
この707はその後も改良が続けられ、さらに低燃費化し、輸送力も拡大されていった。
たまらないのはロッキードである。何せ、今後10年ほどはジェット旅客機は低迷するだろうと当て込んでL-188を開発していたのだから。初飛行から間もなかったが、L-188は本格的に売り込む前にさっそく時代遅れになりはじめていた。
それでもようやく買い手が見つかり、関係者各位の努力によりL-188はやっとこさ商用飛行にこぎつける事になった。が、1959年~1960年にかけて謎の空中分解を連発し、合計97名の乗員・乗客が命を落とす事となってしまう。原因究明の結果、大型プロペラの後流が主翼の構造材に想定以上の振動を起こし、それが空中分解の原因になったと結論付けられた。
ロッキードはまたも困難にたたされた。実はボーイング707の進捗を横目でみながら開発していたことがアダになってしまった。開発に追われる中で仔細な強度計算を怠ってしまったのである。
原因究明と対策の結果、エンジンと主翼の接続方式を変更し、また88km/h(49kt)ほど速度制限をつけることで再発は防げることとされた。だが、そのころにはジェット旅客機は普及しており、また前世代のレシプロ旅客機以下になってしまった速度では誰からも注目されることはなく、せいぜいが貨物専用輸送機として使われるに留まるのだった。
『オライオン』への転身
旅客機としては失敗作となってしまったL-188だが、ターボプロップエンジンはただでさえ燃費がよく、また速度も遅く設定され直されたことが、皮肉にもアメリカ海軍の次期対潜哨戒機の適性を高めた。
それまで運用されていたP2Vは時代遅れになって久しく、また対潜水艦技術も向上し、より多様な探知・分析機器も必要とされた。探知した目標が逃げないように速度も求められ、追尾しつづけるためにより長く飛行することも必要だった。さらに任務は長時間に及ぶので、乗員の疲労を抑えるためにも居住性は必須となる。
当然ながらこれらを旧式機に適用することはできない。より大きく、より速い新型機が必要だった。ロッキード社は1957年8月にこうした要求仕様が発表されるとすぐさまL-188を改造した哨戒機を提案し、1958年4月には採用を勝ち取った。
だったのだが、例の主翼がちぎれる事案により開発は遅れ、アメリカ海軍が最初の機を受領したのは1962年になってしまった。ただ評判は上記のとおりであり、1965年にはエンジンを換装したP-3Bが登場している。1969年には対潜捜索機材を一新したP-3Cが登場し、この型は数度に及ぶ更新により最新を維持し続けることとなる。
日本海とソ連潜水艦
日本でも1968年からP2Vの後継機選定に着手し、一度は国産哨戒機の採用が見込まれた。だが国内技術(当時)にまだ不安は残っていたし、なにより新鋭機(P-3)を推す意見は大きく、1972年10月にはP-3採用が田中角栄政権により突如決定された。
だがロッキード事件のアオリで一度は白紙に戻され、再び採用が決定されるころには1977年になっていた。だがその後は順調で、1981年には最初の機が納入され、1982年からは川崎重工での生産も始まった。その後1997年までに98機がライセンス生産され、購入・ノックダウン生産分も合わせて110機が海上自衛隊にて運用されている。無論、対潜機器は随時最新のものに更新されており、国産で置き換えられた機器も多いので不明なことも多いが、それでも当代随一の能力である事には疑いもないことだろう。
そして当機の導入は潜水艦部隊の技能向上という結果も呼び込んだ。
当時、海上自衛隊では「潜水艦は静粛性が絶対である」という意識は薄かった。そこへ高い探知能力を備えたP-3が導入されたものだから、演習の際には潜水艦が片っ端から発見されて、面目を大いに損なう結果となった。以来、潜水艦には静粛性を重視した設計を取り入れ、また乗組員も音を立てないよう様々な工夫を行うようになり、技量は大幅に向上することとなった。
最近では一部が長期保管状態にあると言われ、また飛行時間が累積したことから退役も始まりつつある。それでもP-1との入れ替えが完了するまでは耐えられるはずで、まだもう少しだけ現役生活を続けることになる。
「ベルクロ・オライオン」
このように搭載力に優れ、長時間飛行も得意なので試験機や特殊任務機に改造されることもある。
アメリカ税関や沿岸警備隊に向けた海上監視機や、訓練用電子妨害機、または新機材の各種テスト用試験機などである。
ちなみに「ベルクロ」とは面ファスナーのことで、日本ではマジックテープとしてよく知られているもの。試験機(アメリカでは接頭記号Nが恒久的な機として、同じくJが一時的な機に割り振られている)ではざまざまな機材を目的に応じて付け外すため、その様子をなぞらえてベルクロという言葉が俗に使われる。
EP-3
電子偵察機、およびその試験型。2001年には海南島で中国空軍機と空中衝突を起こしている。
NP-3
さまざまな航空機用電子機器の機上テスト機。
RP-3
気象データ収集機。例外的にRP-3Dは磁気探知装置のデータ収集機。
UP-3
アメリカ海軍では余剰機から機材を降ろし、輸送機として運用。
海上自衛隊では演習の際、敵役として電子妨害を行う訓練支援機に割り振っている。
WP-3
ハリケーンハンター機。ハリケーンが発生すると内部に突入し気象データを収集する。
P-3AEW&C「センチネル」
E-2のレーダーを移植した監視機で、アメリカ沿岸警備隊が運用。ちなみに前任はC-130の改造機(EC-130V)だった。
P-3A/B「ファイアファイター」消防機
搭載力にも優れるP-3に消火剤タンクと散布装置を追加し、対森林火災用消防機としている。払い下げの中古機を改造しており、ファイアファイターとは英語で消防士のことを指す。
余談ながら、映画『ファイヤークラッシュ -灼熱のカタストロフ-』(2002)の冒頭には、この機が消火剤を投下するシーンがある。だがこの映画、P-3の出番はそれだけで、実際に主役級の活躍をするのはDC-3(正確には貨物室ドアが大きかった事から元軍用のC-47と思われる)となっている。DVDすら発売されていないマイナーな映画ではあるが、DC-3が、それも格好良く活躍する映画は他に無いだろうから、これはこれで貴重ではある。
後継機
初飛行(1962年)より既に50年を過ぎた機ではあるが、役割が地味なせいもあって後継機開発にはなかなか恵まれなかった。ただ全く為されなかったという訳ではない。1980年代半ばにはさらなる能力向上を目指したP-7が開発されていたが、冷戦終結に伴う軍事予算削減のアオリで開発は中止されている。
そういう訳で、哨戒機はP-3から代替されることはなく、冷戦が終わってからも現役でありつづけた。だが、既に新規製造の道は閉ざされており、なにより初飛行から50年が経過する機なので、2000年に後継機選定が行われた。後継機としては
- P-1 – 川崎重工業が新規開発した機体。海上自衛隊がP-3の後継として導入中。海外への売り込みも図られている。
- P-8 – ボーイングがボーイング737NGをベースに開発した機体。UAVやアメリカ軍のネットワークとの連携を前提とするなど『哨戒機兼UAVの空中司令室』という機体。アメリカの他インド、オーストラリアが導入し、イギリス、韓国、ノルウェーが導入を予定している。
- ATR 72ASW - 中型のコミューター機『ATR 72-600』に哨戒機材を搭載した機体。P-1やP-8より能力は劣るが信頼性が高く割安なATR 72をベースにしており低コストで導入できる。イタリアとトルコが採用。
- A319 MPA - エアバスの中型旅客機『A319』に哨戒機材を搭載した機体。計画のみ。A320neoをベースにしたものも検討されているようだ。
などがある。
とはいえ、いずれも価格や能力の面で完全な上位互換とは言い難い。元より頑丈な機体だった事もあり、お古をお古で置き換えたり、近代化改修を施して運用し続ける国もある。
後継機達がヘボなのではない。P-3の完成度があまりにも高すぎるのだ。
とはいえ、全ての国がお古をうまく使えている訳ではなく、元より状態がよくないオンボロを掴まされた上に予備パーツを火災で消失してしまい、やむなくフランスとの共同開発を棒に振ってまでP-8の導入に踏み切った、という踏んだり蹴ったりな目に遭ったドイツのような事例もある。
予算の都合で装備を簡略化した海洋監視機を導入する国もあり、インドネシアは過去C-130を小改造(後部の空挺ドアを透明アクリル張りの監視窓にした)していた。またロシアはAn-72にロケット弾やガンポッドを追加し、An-72Pとして運用している。
バナナの国のオライオン
2015年、訪日したフィリピン大統領は、南沙諸島で起こっている中国との対立(=日本にとってのシーレーン確保)を訴え、日本にも防衛装備の調達に協力するよう求めた。
フィリピンは島国といえども、これまでの歴史の中では政府と反政府派との対立が主軸になっており、従って一番勢力が大きいのは陸軍であった。しかし冷戦が終結し、年々勢力を増加させつつある中国海軍の前には、陸軍などいくらあっても役に立たない。そこで、アジアどころか世界でも指折りの海軍国、日本に掛け合い、とりあえずは使い終えた中古の装備を格安(あわよくばタダ同然で)譲ってもらおうという魂胆である。
その候補の先頭に挙がっていたのが、このP-3であったと言われている。
他にも、2014年度をもって退役した「しらね」型護衛艦やら、2015年に練習潜水艦になった「おやしお」、「はやぶさ」型ミサイル艇があげられていたのだとか。
どれも退役から間がない『最新鋭の中古』ではあったものの、残念ながらフィリピンの国家予算では維持すらおぼつかない代物である。もちろん装備も複雑なもので、とりあえずそのまま使いたければ日本語習得必須が第一関門として立ちはだかる。
以上、諸々の事情を説明し、「説得」した結果、P-3についてはビーチクラフトTC-90(民間名:「キングエア」C90)を5機貸与することになった。無論、フィリピン側は「タダで!」とは主張していたようだが、財政法で国有財産を実勢価格より安く販売することは禁じられているため、結果ここに落ちついた。
関連動画
P-3誕生の経緯とその後の歴史がわかる公式動画(英語)