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P-2

ぴーつー

ベガ航空機、PV哨戒機の後継として大戦中に計画された機で、実戦配備は戦後となった。1950年代から90年代まで第一線で活躍した息の長さだけでなく、爆撃機としての側面もあるので活躍の幅も広い。艦載核爆撃機やAEW、電子偵察機、ガンシップと多彩な派生型が生み出されている。愛称は『ネプチューン』または『おおわし』。
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PVに替わる哨戒・爆撃機を

ロッキードPV「ベンチュラ」「ハープーン」

もとをただせば海軍向けの沿岸哨戒機で、これは1939年に初飛行した民間用のロッキードL-18「ロードスター」旅客機を武装化・軍用としたもの。エンジンは原型よりも大幅にパワーアップされており、1200馬力の「ツインワスプ」から「ダブルワスプ(2000馬力」に換装されて最大速度も428km/hから518km/hへと向上した。

武装面では爆弾倉(約1.5tまで)を追加し、また機首には前方固定機銃、後部胴体下方に防御機銃座、胴体背面にも動力式旋回機銃を設置する等して12.7mm機銃7挺・7.62mm機銃2挺の重武装となった。

1942年にイギリスやニュージーランド、オーストラリアが実戦投入したが、大した活躍はなく、役に立つどころか鈍重すぎて生き延びられないと搭乗員に嫌がられた。43年以降は砲火を交える危険の少ない沿岸哨戒に充てられている。

だが、もともとは旅客機に武装して重量が増えた上、エンジンもパワーアップして燃費が悪くなったのは、いかにも都合が悪かったらしい。ほどなく本格改設計型のPV-2が生み出され、より重武装になった上で航続距離は原型機にも引けをとらない程度まで改善された。PV-2は戦後も各国で哨戒機として活躍しており、海上自衛隊で運用された事もある。

計画案「V146」

1943年、海軍はロッキード社にPVの改良(PV-2)を求めるいっぽう、ベガ社に本格的な対潜哨戒機を要求する。ベガ社はかねてから研究の進んでいた設計案「V146」を提出し、翌44年には試作機・先行生産機の計14機が発注されることになった。

『ネプチューン』

エンジンには「ダブルサイクロン」ことライト社のR-3350を採用し、これは航空機用レシプロエンジンの集大成ともいえるようなエンジンである。実戦配備は1945年から始まっているが、結局第二次世界大戦には間に合わず、活躍は戦後からとなった。

しかし、P2V(当時)は西側諸国で代表的な哨戒機となり、アメリカ日本だけでなくオーストラリアブラジルといった国でも採用されている。中でもアルゼンチンは実戦への直接参加ではないが、フォークランド紛争でイギリス艦隊捜索に投入した。

1960年代になると陸・空軍の名称整理により「P-2」と型番が整理された。1970年代には性能も陳腐化が進んでいたがベトナム戦争にも投入されている。アメリカではその後P-3へ徐々に交替していき、1978年にはP-2は最後の機が退役した。

軍での経歴はこれまでとなってしまったが、払い下げになった機が対森林火災用消防機として改造され、その後も長く活躍していく事になる。

P-2J『おおわし』

1956年、それまでTBFやPV-2といった旧式機を使わされ続けていた海上自衛隊に、ついに待望の新型機、P2V-7が供与される。その後1958年までに16機が輸入され、翌1959年からは川崎重工によるライセンス生産が開始された。その後P2V-7は1982年まで現役にあり、後継もP2V-7を改良したP-2Jが採用される。

その改良点を具体的に解説すると、胴体を延長して容積を拡大し、引き換えに不足する安定性を尾翼増積で補い、エンジンをターボプロップエンジンに換装し、また補助ジェットエンジンも改良型を搭載している。居住性ではとくに改善がなされ、乗員区画が大きく取られるようになったほか、冷房設備も設置されるようになった。また、対潜捜索機材もすっかり更新された事により、限定的ながらもP-3Bにも匹敵する能力とさえ評価されている。

だが、ただでさえ狭い機内にこれだけの機材を詰め込んだせいで、使い勝手はさほど改善されなかった。しかも通常型(エンジン駆動式)にくわえ、原子力潜水艦への対応も求められるとなると、能力的にはやはり不足気味になってしまった。

実践配備が開始されてまもなくの頃に新鋭機の導入が検討されたが、ロッキード事件に関するゴタゴタで導入は遅れ、「つなぎ」だったはずのP-2J生産は1979年まで行われることになった。1981年以降はP-3が導入されるようになったが、P-2Jはその後も機材更新などの改良を受け続け、最後の機が退役したのは1994年となった。

なお、このP-2Jは海上自衛隊の独自仕様だったが、23年もの現役期間に1機も欠けることなく退役するという、世界的にも珍しい快挙を成し遂げている。

その他のネプチューン

P-2(P2V)は様々な派生型を生み出している。核兵器搭載型や電子偵察型(空軍でもRB-69Aとして同様の機を運用)、AEW型がこれにあたるが、中でもAP-2Hは非常に珍しい対地捜索・攻撃型となっている。

艦上(?)核爆撃機

1940年代末は、まだICBMが存在せず、核攻撃は空軍が独占していた時代。
アメリカ海軍は「空軍だけずるい!こっちも空母から飛ばせる核爆撃機が欲しい!!」と考えていた。
とはいえ、当時の核爆弾は大型で、とてもじゃないが艦載機に搭載できるものではなかった。
それでも、何が何でも空母から核爆撃機を飛ばしたい!
そんな執念から行きついた答えが、P2Vであった。
元々陸上機であるP2Vを改造して核爆弾を積み、無理矢理空母から飛ばそうというのである

とはいえ、本来空母に積めない大きさのP2Vは、発艦も着艦もままならない
そのため、ロケットブースターを装備して発艦だけを行い、核爆弾を落とした後は海上に不時着水するか友好国の基地に着陸するという、片道切符なものだった。あれ、これってドゥーリットル空襲…?

この方法は1949年に実験を行って一応は成功し、専門の飛行隊まで編成されて任務についていたのだが、間もなく核爆弾を搭載可能な専用艦載機が登場し、僅か数年でその役目を終えた。
とはいえ、艦載機にでかい核爆弾を積むのはまだまだ簡単な事ではなく、ジェットレシプロ混合機だの核を尻から落とす奴だの奇抜なものが登場し、遂には艦載機だけでは飽き足らずジェット爆撃飛行艇まで作られるという試行錯誤が続いたのだが、それはまた別の話。

AP-2H「ガンシップ」

ベトナム戦争のおり、アメリカは北ベトナム軍の補給を断つため、まさに泥沼の戦いに身を投じていた。この補給線「ホーチミン・ルート」はラオス領内を含むジャングルの中を通っており、分厚い木々に隠された赤土の道路は発見至難な、しかし重要な背後連絡線として、日々のべトコン戦士の戦いを支えていた。

戦術上、こうした背後連絡線(=補給線)が通じている限り、戦力はいくらでも補充され、いつまでも戦いを続けられる原動力となる。ベトコンの前線後背をいとわない襲撃は、ただでさえ低いアメリカ兵の戦意をますます下げる原因として恐れられた。前線ではとっくに厭戦気分が蔓延し、ガラの悪くなった兵士は味方側のベトナム人へ矛先を向けるようになった。

そうした厄介の大本、「ホーチミン・ルート」を絶つために開発されたのがAP-2Hである。
この機はジャングルの下を走るトラックを発見できるよう、低光量テレビカメラ(LLLTV)と赤外線前方監視装置(FLIR)といった夜間暗視装置や各種対人探知機、熱感知装置を搭載し、さらに側方監視レーダーも追加している。

胴体尾端のMADブームも撤去され、20mm連想機銃による銃座に替えられた。さらに主翼のハードポイントの一つにはミニガンガンポッド方式で搭載(SUU-11A)し、ほかには爆弾や焼夷弾も搭載できた。さらにカムランベイ基地配備後には爆弾倉に40mmグレネードランチャーも追加されている。(現在「ガンシップ」として想像されるような搭載方法ではない点に注意。いずれも前方に向けて搭載されている)

そして、こうした大掛かりな改装にもかかわらず、実際にはほとんど戦果を挙げられなかった。
作戦の一部はラオス領内にも及んだため、現在でも詳細は明らかではないが、結局ホーチミン・ルートは遮断されず、戦争はアメリカの撤退という形で終戦を迎えたことからもこれは明らかである。

AP-2Hは4機が改造され、全機が無事に戦争を終えた。のちに3機はスクラップ処分とされたが、最後の1機だけはアリゾナ州立ピマ航空博物館で野外収蔵されている。P-2の中では一際目立った魅力的な機となっているが、模型化には恵まれておらず、過去に改造パーツがガレージキットとして販売されたことがあるのみとなっている。

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