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観艦式

かんかんしき

観艦式とは海軍の艦艇による海上パレードで、特に君主・大元帥・大統領・総理大臣など、その国における最高権威者や最高軍事司令官が親閲するものをいう。ここでは特に海上自衛隊による「自衛隊観艦式」について説明する。
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自衛隊観艦式って?編集

海上自衛隊により行われる、自衛隊記念日の中央行事のひとつ。観閲官を務める内閣総理大臣(自衛隊の最高司令官にあたる)の観閲を受けることにより、全隊員の自覚および士気の高揚を図るとともに、防衛力の主力を展示し、自衛隊に対する国民の理解と信頼の向上に寄与することが本来の目的となっている。

1956年、防衛省(当時は防衛庁)が11月1日を「自衛隊記念日」と制定したことを祝う目的で陸海空自衛隊が内外の招待者を募り、自衛隊最大の祝典を挙行したのが始まりである。1973年までほぼ毎年行われ、この年の石油ショックの影響もあり一時中断するも、平成に入って復活、現在は陸上自衛隊の中央観閲式および、航空自衛隊の航空観閲式とのローテーション順で、ほぼ3年に一度行われている※。


※海上自衛隊・防衛省創設記念で前倒し開催となることが多いが、2020年東京オリンピックの射撃競技会場が陸上自衛隊の朝霞駐屯地となった関係から、2018年挙行予定だった観艦式を2019年以降に延期し、陸上自衛隊の中央観閲式を前倒し開催させることとなった。

 これは1996年に航空自衛隊航空観閲式を含めた三隊持ち回り実施以来初の出来事でもある。



海自においては、観閲官が乗艦する艦「観閲艦」を含む各数隻の観閲部隊、観閲付属部隊と、受閲部隊とが洋上ですれ違う移動式を採用し、観閲が終わると訓練展示に移行し、祝砲発射、戦術運動などが行われる。

2015年の自衛隊観艦式では、観閲部隊の先導艦を「むらさめ」、受閲部隊の先導艦を「あたご」が勤め、祝砲発射を「しまかぜ」が担当した。


観艦式の起源と形式編集

観艦式は、英仏百年戦争が繰り広げられていた1347年、イングランド王エドワード3世が行ったものが起源といわれ、やがて各国の海軍がこれに倣い観艦式を行うようになった。現在一般的に行なわれている形式は、1897年の大英帝国ヴィクトリア女王即位六十年記念観艦式のときに行なわれたものが基となっており、左右各1列で停泊している受閲艦の列の間を、観閲者の乗艦が通って行くものである。

日本海軍もこの形式で観閲式を行っていた海軍のひとつで、近代日本海軍で最初の観艦式に相当するものは1868年3月26日、現在の大阪港で行なわれたものだとされ、日本海軍の公式記録ではこれが第1回となっている。このときの式典に参加した艦艇は、肥前藩鍋島家「電流丸」、熊本藩細川家「万里丸」、久留米藩有馬家「千歳丸」、長州藩毛利家「華陽丸」、広島藩浅野家「万年丸」、薩摩藩島津家「三邦丸」と、他にフランスの軍艦「デュプレックス」である。

第1回の段階では「お召し艦」がなかったが、1871年11月2日に実施された第2回から「お召し艦」が登場。明治天皇が品川沖でコルベット「龍驤」(初代。熊本藩から献上された)にご乗艦になり、10隻程の艦艇を親閲された。その後「海軍初め」として毎年行われるも、1878年を最後に中断したが、1890年に復活。この年の4月18日に神戸沖で行われたものが正式な観艦式の始まりである。



1940年に開催された二千六百年特別観艦式を最後に、日本海軍の観艦式は取りやめとなった。紀元二千六百年特別観艦式に参加した上記船艇の大半は翌年に勃発した太平洋戦争で戦没した。戦前の観艦式に参加した船艇の中で、戦後の自衛隊・海上保安庁の観閲式に参加したのは「宗谷」と「凌風丸」のみである。


関連イラスト編集

観艦式2015 IN横須賀いざ観艦式

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むらさめ型護衛艦 あたご型護衛艦

宗谷(船)

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