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曖昧さ回避編集

  • 神風型駆逐艦(初代)31番艦磯波(初代)。1909年竣工。1928年、第43号駆逐艦の吹雪型駆逐艦「磯波」への改名にあたり第7号掃海艇に改名。1930年除籍。
  • 吹雪型駆逐艦9番艦磯波(2代目)。本項で説明

史実編集

特Ⅰ型駆逐艦9番艦「磯波」。大日本帝国海軍の駆逐艦の艦名としては2代目。

次艦である特型駆逐艦10番艦「浦波」は、「特Ⅰ型=吹雪型」と「特Ⅱ型=綾波型」の中間に位置する設計のため「改Ⅰ型」と呼ばれることもある。


1926年浦賀船渠で建造。一等駆逐艦に類別された。この時点では「第43号駆逐艦」と命名されていた。

1928年8月1日、第43号駆逐艦を「磯波」と改名。これにより、神風型駆逐艦(この時は掃海艦に艦種変更されていた)「磯波(初代)」は「第7号掃海艇」へと改名された。

同年12月1日に、同型艦「浦波」「綾波」「敷波」と第19駆逐隊(第2艦隊第2水雷戦隊)を編成した。


1937年日華事変勃発に際し大陸への出動を命じられたが、回航中に僚艦「浦波」と衝突、5ヶ月の修理の後に上海、杭州湾上陸作戦に参加。

1940年には、華南での沿岸作戦に参加した。


1941年、南方マレー作戦部隊にあって、イギリス領マレーの東岸コタバルに舵をとり、「川内」の指揮のもと第19駆逐隊(他に綾波浦波敷波)の一員として、山下奉文将軍率いる第25軍大船団の内のコタバル強襲部隊の輸送・護衛にあたった。

1942年、蘭印攻略作戦に参加。6月のミッドウェー海戦には第一戦隊の「大和」「長門」「陸奥」からなる主力部隊の警戒隊として参加。

しかしその帰路、5年前に引き続きまたしても「浦波」と衝突、艦首を約1メートル切断し、9月末まで修理にあたった。


10月4日第二航空戦隊を護衛しトラックへ進出、その後「白雪」「初雪」と共にソロモン諸島・ニューギニアの諸作戦に参加。

12月1日にニューギニア島ブナ東方海上で敵機と交戦し至近弾により中破した。


1943年、修理の終わった「磯波」は南西方面艦隊所属として後方配備となり、ラバウル~呉間の海上護衛や哨戒活動に従事した。

1943年4月9日、船団護衛中、セレベス南東で米潜水艦「トートグ」の雷撃を受け戦没した。


1943年8月1日除籍。


余談編集

海上自衛隊では艦名を受け継いだ3代目としてあやなみ型護衛艦2番艦いそなみ(DD-104)が運用されていた。

1957年進水。

1983年に練習艦に転籍。

1987年除籍。


関連項目編集

特型駆逐艦

吹雪型駆逐艦

磯波

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