概要
日米開戦時、外洋航行性能に劣る樅型(準同型艦)は大部分が哨戒艇や雑役船に転籍していたが、若竹型は多くが駆逐艦籍に残され、不向きな船団護衛に従事した。
詳細はWikipedia参照
艦歴
1921年
12月13日
起工。
1922年
7月24日
進水。進水時の名称は第二駆逐艦。
1924年
4月1日
名称を第二号駆逐艦に変更。
1928年
8月1日
計画名ではなく艦名「若竹」が与えられた。(呉竹、早苗、早蕨、朝顔、夕顔、芙蓉、刈萱も同様)
1941年
12月8日
日米開戦。船団護衛に従事。
1944年
3月30日
パラオ大空襲に際して、脱出を図るパタ07船団の護衛についたが、パラオ湾口3km沖にて爆弾4発の直撃を受け15秒で沈んだ。
5月10日
除籍。
諸元
基準排水量:820t
全長:83.8m
全幅:8.08m
機関出力:21,500馬力
最高速力:時速35.5ノット
乗員:110名
兵装:12.0cm単装砲×3
6.5mm単装機銃×2
53cm連装魚雷発射管×2