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概要

若竹型駆逐艦の8番艦。同型としては最後にあたる。

日米開戦時、外洋航行性能に劣る樅型(準同型艦)は大部分が哨戒艇や雑役船に転籍していたが、若竹型は多くが駆逐艦籍に残され、不向きな船団護衛に従事した。

詳細はWikipedia参照

艦歴

1922年

5月16日

起工。

1923年

3月19日

進水。進水時の名称は第十八駆逐艦。

1924年

4月1日

名称を第十八号駆逐艦に変更。

1928年

8月1日

計画名ではなく艦名「刈萱」が与えられた。(若竹呉竹早苗早蕨朝顔夕顔芙蓉も同様)

1937年

7月7日

日中戦争勃発。華南沿岸の諸作戦に参加。

1941年

12月8日

日米開戦。船団護衛に従事。

1944年

5月10日

「ミ03船団」を護衛中、ルソン沖にて米潜水艦コッドの魚雷が2本命中し沈没。

7月10日

除籍。

諸元

基準排水量820t
全長83.8m
全幅8.08m
機関出力21,500馬力
最高速力時速35.5ノット
乗員110名
兵装12.0cm単装砲×3
  6.5mm単装機銃×2
  53cm連装魚雷発射管×2

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刈萱(駆逐艦)
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刈萱(駆逐艦)
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