ドバイワールドカップ
どばいわーるどかっぷ
概要
ドバイの首長であり、国際的な競馬団体であるゴドルフィンのファウンダーであるシェイク・モハメドによって創設されたレース。1着賞金は720万ドルでありG1レースとしては世界最高の額である(G1以外ではサウジアラビアのサウジカップが1着1000万ドル)。
同日にはドバイシーマクラシックやドバイターフといった芝ダート問わず高額賞金のアンダーカードとなるレースが開かれるドバイミーティングが開催される為、ダートの本場アメリカのみならず、芝レースが主流のイギリス、フランス、アイルランド、日本などといった国々もドバイに集う。
レース自体について
コース:ナド・アルシバ競馬場(~2009年)/メイダン競馬場(2010年~)
条件:ダート2000m(~2009年、2015年~)/オールウェザー(2010年~2014年)、北半球産4歳以上
第1回目(1996年)はナド・アルシバ競馬場で、ダート2000mで開かれた。米国で前年10戦10勝と無敗であったのシガーが優勝したことで国際的な評価が高まった。
2000年にはモハメド殿下がミレニアムイヤーでの期待を込めて名付けられたドバイミレニアムが快勝。僅か1シーズンの種付けで命を落としたが、残された産駒よりドバウィが競走馬・種牡馬として活躍するなど繁殖面での評価にも繋がった。
2009年よりメイダン競馬場に変更となり、同時にオールウェザーでの開催となった。しかし、維持管理の問題やアメリカ勢の敬遠などから2015年以降はダートでの実装となった。
2018年~2019年はゴドルフィンのサンダースノーが史上初の連覇を達成。その後引退し、現在はダーレー・ジャパンで種牡馬として供用中である。
2020年はCOVID-19の影響で同年での開催を中止した。
日本馬の活躍
日本馬は第1回にライブリマウントが参戦(6着)。翌年にはホクトベガが参戦するも競争中止、その場で安楽死となり、帰国することも(検疫の問題で)許されなかった。
以降、ナド・アルシバではトゥザヴィクトリーの2着(2001年)が最高順位となった。
2010年にメイダンに移ってからは、オールウェザーでの開催となり、レッドディザイアがメイダンの前哨戦で勝利するも、本番ではその前哨戦で2着だったフランスのグロリアデカンペオンの2着。
2011年、ヴィクトワールピサが日本馬として初のドバイワールドカップ制覇を達成。2着にトランセンドが入り、日本勢ワンツーフィニッシュとなった。