慰霊の日
いれいのひ
経緯
太平洋戦争中の1945年4月1日に、アメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされている。
この自決がいつあったのかについては、6月22日説と6月23日説があり、現在、沖縄県では6月23日説を採用している。どちらが本当に自決があった日であるかについては議論があり、1961年に当時の琉球政府が慰霊の日を定めた際にも、当初は6月22日としていたものを、1965年に6月23日に改めた経緯もある。現在は1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。
また、上皇が「忘れてはならない日」として挙げた四つの日の一つである。(後の三つは広島原爆投下日、長崎原爆投下日、終戦記念日。)
沖縄の現実
沖縄における慰霊の日の政治利用は毎年の事で、慰霊の日式典で反基地演説が毎年行われている。また、歴史的に戦争の責任から沖縄県民だけは逃れるかのような文言も並び、アメリカ、日本本土との対立をあおる内容となっている。地元紙や地元活動家は言わずもがなで、露骨にアメリカヘイト、団体によっては日本ヘイトの口実に使われている現実が間違いなく存在しており、そういった沖縄の慰霊の日の現状から、一部沖縄県民からも「政治主張は別の日に」と不満の声はでているものの、未だ少数である。
https://www.sankei.com/politics/news/190623/plt1906230029-n1.html
特別番組
慰霊の日の前後には、沖縄県内にある全放送局が特別編成を組み、戦争の悲劇を風化させないように取り組んでいるが、当日の全戦没者慰霊祭の模様をNHK沖縄放送局が全国に発信するようになったのは、ごく最近のことである。それも、11時台は九州7県8局の総合テレビでネットするだけで、全国放送となるのは総合テレビ・ラジオ第1の12時台だけである(国際放送NHKワールドも12時台のみ放送されるが、ラジオでは同日録音放送もある)。