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梶本隆夫の編集履歴2023/10/14 22:32:43 版
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梶本隆夫

かじもとたかお

岐阜県多治見市出身(山梨県甲府市生まれ)のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。

概要

(1935年4月8日 - 2006年9月23日)。愛称は「梶」あるいは「梶さん」「梶やん」。

1954年に阪急ブレーブスへ入団。

2年目の1955年も18勝し、1956年には28勝(17敗)にリーグトップの327奪三振を挙げてベストナインに選ばれるが、大映の三浦方義(29勝)に阻まれてわずか1勝差で最多勝を逃した。1957年にも24勝(防御率1.92〔リーグ4位〕)と2年連続20勝、1960年にも21勝を挙げるなどエースとして阪急の「灰色の時代」を支えた。

後に入団する米田哲也とヨネカジコンビを形成し、Bクラスが多かった昭和30年代の阪急を支えた。

1973年限りで現役を引退。通算254勝255敗と、200勝以上を記録した投手の中で唯一負け越している。

引退後は阪急→オリックスで一軍投手コーチ(1974年 - 1978年)、監督(1979年 - 1980年)、一軍ヘッド兼投手コーチ(1981年 - 1985年)、球団調査部長(1986年 - 1988年)、二軍投手コーチ(1989年 - 1991年)、二軍リザーブチーフコーチ(1992年 - 1993年)を歴任。指導者としての評価も高く、コーチ時代には4度のリーグ優勝と3度の日本一に貢献した。

2006年9月23日午前6時26分、呼吸器不全のため神戸市内の病院で死去。満71歳没。

死後、2007年に野球殿堂入り。

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