経歴
中学時代は陸上の走高跳の選手。高校入学当初は捕手だったが投手に転向した。
高校時代からカーブ、シュート、スライダーも習得したが、甲子園の全国大会とは無縁だった。
1965年、阪急ブレーブスと阪神タイガースとの二重契約が発覚したがコミッショナー裁定の結果阪急入り(真っ先にスカウトしたのは阪急だった。阪神へは1975年にトレード移籍)。
1年目から9勝、2年目に21勝を挙げて以後エースとして活躍。左腕エースの梶本隆夫と共にヨネカジコンビを成した。
1977年の引退後は解説者を務めていたが、1992年途中から1993年までオリックス・ブルーウェーブ一軍投手コーチ、1995年は近鉄バファローズ一軍投手コーチを務めた。また日本プロ野球名球会の結成に参加したり、2000年には野球殿堂入りもしている。
人物
プロ野球歴代1位の949試合に登板(当時。現在は岩瀬仁紀に抜かれて2位)し、20勝以上を8回、歴代最長の19年連続2桁勝利、歴代2位の通算350勝を記録した。その驚異的スタミナで肘や肩の故障はほとんどなかったことから「ガソリンタンク」「人間機関車」「タフマン」などと呼ばれた。
また、打撃も得意で、投手として通算33本塁打は金田正一に次ぐ歴代2位。
投手で唯一満塁本塁打とサヨナラ本塁打も記録している。
得意のフォークボールを「ヨネボール」として使用している。