概要
(1919年6月27日 - 1990年5月12日)。
中国系日本人1世で、来日後に日本に帰化しており日本名は東 建民(あずま けんみん)といった。息子の陳建一、孫の陳建太郎も料理人。
幼い頃、母親から料理を習い興味を持った。「海清園」や「京川飯店」などの料理店で見習いとして働き、食堂の「麼師」を経て料理人になった。
1952年(昭和27年)観光ビザで来日、同じく四川省出身の陳海倫(戦前に上海で高級ホステスをしていたという)の食客(居候)となり、次にまるみや果物店の宮田清一の食客となった。
1953年(昭和28年)春に、外務省に外売(出張料理)を始める。
1958年(昭和33年)、台湾出身の龍智議が新橋田村町に四川飯店を開業し、建民も厨房で働く。後に建民が独立する形で自分の店として赤坂へ出店した。
建民は元来、宮廷料理を得意としたが庶民的な料理や四川以外の料理も適宜好みや当時の台所事情など日本人にあわせアレンジを加えた上で供し、評判となった。
四川飯店経営の傍ら、NHKの『きょうの料理』などの料理番組に出演した。
1980年、日本に帰化する。
1990年(平成2年)5月12日、70歳で没した。