概要
2011年5月から死去まで日本中国料理協会会長。
本名:東建一(あずま けんいち)
1956年1月5日、東京都で父・陳建民と日本人の母・洋子の間に生まれた。
建民は日本における四川料理の第一人者で、赤坂に「四川飯店」を開店していた。
玉川大学を卒業した健一は、その四川飯店で修行を積み、1990年に建民が死去するとオーナーに就任している。
1993年、料理番組『料理の鉄人』(フジテレビ系)に出演したことで全国区の知名度を得る。
同番組は1999年の終了までレギュラー出演し、トレードマークの黄色い衣装と「中華の鉄人」の異名で親しまれた。
四川飯店グループも店舗が増え、一大企業となった。
2010年、肺がんの治療のため、四川飯店の経営を息子の陳建太郎に譲り、自身は裏方に回るようになる。
2013年11月、黄綬褒章を受章。
2023年3月11日、都内の病院で間質性肺炎のため死去した。67歳没。
余談
- 出生時から日本国籍であるが、表舞台では父親の旧姓に倣い「陳」を名乗った。このため、中国人と勘違いする人が多かった。息子の建太郎も同様に表舞台では「陳」姓を名乗っている。
- 義務教育を東京中華学校(台湾系)で過ごしたこともあり、中国語を習得していた。
- 日本国内で親しまれている麻婆豆腐の味は、彼が広めたものとされている。
- 『料理の鉄人』の初期鉄人3人の内では彼が一番若かった(陳が亡くなった時点で、和の道場六三郎が92歳、フレンチの坂井宏行が80歳)。
- その3鉄人はとても仲が良く、番組終了後もしばしば表舞台で共演したり、また陳の趣味だったゴルフも陳の入院直前まで3人で行っていた。
- 特に坂井宏行とは比較的年齢が近い事もあり兄弟同然の間柄だった。毎年のように2人で四川省に行き、ゴルフをしながら四川料理の研究をしていた。息子の建太郎曰く「ムッシュ(坂井)はフランス料理界で一番四川料理を食べている。」
- 初めて作った料理は中華ではなくマカロニグラタン。また鉄人として名が知られた後も「得意料理はスパゲティナポリタン」と語ったり、YouTubeでスパゲティミートソースやボンゴレビアンコ、ガパオライスを作る等、中華以外の料理を披露する事もあった。