私の中華料理少し嘘ある。でもそれいい嘘。美味しい嘘。
概要
陳 建民(ちん けんみん/チェン・チャンミン)とは、中華民国四川省出身の中国系日本人1世で、中国料理人である。
来日後に日本に帰化しており日本名は東 建民(あずま けんみん)といった。
四川料理の父や中華の神様と呼ばれる。
息子は中華の鉄人陳建一。孫は3代目四川飯店グループオーナーシェフ兼運営会社社長の陳建太郎。
幼い頃、母親から料理を習い興味を持った。「海清園」や「京川飯店」などの料理店で見習いとして働き、食堂の「麼師」を経て料理人になった。
1952年(昭和27年)観光ビザで来日、同じく四川省出身の陳海倫(戦前に上海で高級ホステスをしていたという)の食客(居候)となり、次にまるみや果物店の宮田清一の食客となった。
1953年(昭和28年)春に、外務省に外売(出張料理)を始める。
1958年(昭和33年)、台湾出身の龍智議が新橋田村町に四川飯店を開業し、建民も厨房で働く。後に建民が独立する形で自分の店として赤坂へ出店した。
建民は元来、宮廷料理を得意としたが庶民的な料理や四川以外の料理も適宜好みや当時の台所事情など日本人にあわせアレンジを加えた上で供し、評判となった。
四川飯店経営の傍ら、NHKの『きょうの料理』などの料理番組に出演した。
1980年(昭和55年)、日本に帰化する。
四川料理の父
前述の通り建民の料理は四川料理を日本風にアレンジした事で人気を博したが、これは洋子夫人のアドバイスの賜物である。以下はその一例。
担担麺
現代で「汁なし担々麺」と呼ばれるスープのない物が本来の姿だが、当時の日本人には油そばは馴染みが薄いという事でラーメン風のスープに麺が入った物を「担担麺」として紹介。
麻婆豆腐
建民の代名詞とも言える料理で、四川飯店の看板メニュー。
甜麺醤が当時は手に入らなかった為八丁味噌をベースとしたタレで代用し、豚の挽肉と長ネギを具材とし辛味を抑えて提供。これが大ヒットし日本人が四川料理として真っ先に連想するメニューとなった。
なお、孫の建太郎によると四川飯店の甜麺醤は現在でも八丁味噌をベースとした自家製の物を使用しているという。
エビチリ
本来は激辛料理である「乾焼蝦仁」を由来とする。当時の日本人が激辛に慣れていなかった為、ソースにトマトケチャップを使用してマイルドに仕上げた。こちらも大ヒットし中華料理の定番メニューとなった。
回鍋肉
こちらも本来は辛味の強い料理。日本に紹介されたものは甜麺醤を使って甘みを出している。また中国では葉ニンニクを具材として使用するが、日本ではまだまだ一般的な食材ではない為キャベツを使用している。
余談
- 自宅でも来客がある時には喜んで料理を振る舞っていた。これは息子の建一も同様だった。
- 少年時代は大家族だった為実家が非常に貧しく、年中ジャガイモばかり食べていた。それがトラウマになってしまった為か、日本の自宅でジャガイモ料理が出てくると激怒していた。
- 作り置きが出来るという理由でエビチリを自宅でよく作っていた。朝食としてトーストに乗せて食べる事もあった。