概要
生誕 | 1922年5月27日 |
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所属組織 | ドイツ国防軍 |
軍歴 | 1940年 - 1945年 |
最終階級 | 予備役中尉 |
除隊後 | 薬剤師 |
オットー・カリウス(Otto Carius)は、第二次世界大戦中のドイツ国防軍の軍人である。
戦車長として150両以上の敵戦車を撃破したカリウスは、ミハエル・ヴィットマン親衛隊大尉やクルト・クニスペル曹長、エルンスト・バルクマン親衛隊曹長と共に、最も優れた戦車兵の一人として認められている。
戦いぶりは事前偵察と歩兵部隊との協同を重視し、時にはヴィレル・ボカージュでのように歩兵の支援無く戦車単独で果敢に強襲するようなヴィットマンとは対照的であった。
1941年の「バルバロッサ作戦」では、38(t)戦車に搭乗し初の戦闘を経験した。1942年10月1日に少尉に昇進、1943年には戦車長として第502重戦車大隊へ転属する。この部隊はティーガーIを装備し、レニングラードの正面からエストニアといった激戦区に投入された。
1944年の「ナルヴァの戦い」で、アルベルト・ケルシャー曹長と共に、たった2両のティーガーIと僅かな歩兵でソ連軍の突破を食い止め、5月4日付けで騎士十字章を受章している。
1944年7月22日、「マリナーファの戦い」でケルシャー曹長と共に2両のティーガーIで、IS-2を10両、及びT-34/85を7両撃破した。7月24日、サイドカー付きオートバイを用いての偵察中にソ連兵と遭遇して重傷を負うが、一命を取り留める。
7月27日、柏葉付騎士十字章(ドイツ全軍で535番目)を受章し、中尉となる。
1945年初頭に第512重戦車駆逐大隊のヤークトティーガー中隊の指揮官となる。ヴァルター・シェルフ大尉を長とし、第1中隊長にアルバート・エルンスト中尉が、第2中隊長にオットー・カリウスが任命、ルール包囲網のなかで戦ったが、末期のドイツ国内の混乱や士気の低下、ヤークトティーガーの欠陥もあってさしたる戦果を挙げることは出来ず、4月15日、イーザーローンでアメリカ軍に降伏、第二次世界大戦を生き延びる。
戦後、1952年に薬剤師の免許を所得。1956年に、搭乗したティーガー戦車に因んで「ティーガー・アポテケ(Tiger-Apotheke)」という薬局を開業した。
2015年1月24日、短い闘病生活の末にこの世を去った。 享年92歳。
なお著書として、「泥の中の虎(Tiger im Schlamm)」(ティーガー戦車隊 第502重戦車大隊オットー・カリウス回顧録:大日本絵画)がある。このうち前述のナルヴァ戦の部分が宮崎駿の手で「泥まみれの虎」として漫画化されている。
関連イラスト
前述の宮崎駿版に登場する「豚のカリウス」を描いた作品が多く見られる。
また、後述の事情からガールズ&パンツァーとのコラボも。
関連タグ
西住みほ:前日談でティーガーIに搭乗する場面が存在し、その際の車両番号がカリウスの乗車をオマージュした「217」となっている
カリウス・オットー:姓名が逆順。ネタ元にしたのかは不明