概要
すぐ近くに愛知県、長野県との県境があり、ホーム上に県境を示す標識が立てられている。
1936年12月30日開業。三信鉄道が平岡駅から延伸してきた北線の終点で、南線の終点である大嵐駅とは船で連絡していた。1937年8月20日に三信鉄道の全線が開通したことから途中駅となった。
駅構造は単式1面1線の地上駅(無人駅)となっている。かつては相対式ホームの2面2線だったが、2008年に線路が撤去されている。
当駅は天竜川沿いの深い山の中にあり、駅周辺に定住者はいない。近年まで駅から徒歩15分のところにある一軒家に老婦人が住んでいたが引っ越してしまったという。
開業当時はここが水窪の北西の玄関口で、街道上の要所でもあったが、佐久間ダム建設に伴い集落のほとんどが移転してしまった。
また同時に道路も付け替えられてしまったため自動車で駅に行く事すら不可能で、最寄りの集落まで山道を歩いて最低1時間はかかる。
秘境駅ブームの火付け役の駅で、『秘境駅へ行こう』の著書で知られる牛山隆信が最初に訪れた駅でもある。JR東海は急行「飯田線秘境駅号」を走らせており、その停車駅に当駅も含まれている。
名前が皇后陛下(成婚当時は皇太子妃)の旧姓と同じ(ただし読みは異なる)ということで、1993年の御成婚時には訪問者が急増した。当時の水窪町はこれを記念して駅前で1組のカップルの結婚式を行っており、駅周辺には結婚式の記念写真やこのときに設置された「愛」の文字が入ったベンチなども残されている。
このほか駅周辺には佐久間ダム建設時に転落してきたというミゼットMP型の廃車体が転がっている。