概要
全線が日本海に沿っているのが特徴。留萌本線留萌駅から分岐し、小平・苫前・羽幌・初山別・遠別・天塩といった海岸沿いの町を通って、幌延駅で宗谷本線に接続していた。
開拓と入植に伴い日本海沿岸の町はニシン漁の町として次第に人口を増やしていた背景から、空知と宗谷地方を結ぶ鉄道の計画自体は大正時代からあり、着工自体は早々に為された。北と南の両方向から順次延伸していったが、太平洋戦争中は工事が中断されたこともあり、全線開通は戦後の1958年(その間、初山別村は早期開通を目指して国会まで度々陳情に行っている)
しかし沿線の羽幌炭鉱の閉山やニシン漁の衰退、並行する国道232号(通称「オロロンライン」)の整備とモータリゼーションの進展で利用者は減少し、1987年3月30日に廃線となった。国鉄が最後に廃止した鉄路である。また一部区間は開通から30年程度で廃止された事になる(これは期間でいえば京葉線の東京~新木場間が現在廃止になるようなものである)。
優等列車
1986年11月までは札幌直通の急行列車「はぼろ」が一往復設定されていた。また、留萌本線の急行列車「るもい」も乗り入れていた。
かつての接続路線
留萌駅で留萌本線、幌延駅で宗谷本線の他に、築別(ちくべつ)駅で羽幌炭礦鉄道に接続していた。