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グナイゼナウの編集履歴

2014-04-19 06:47:46 バージョン

グナイゼナウ

ぐないぜなう

ドイツの人名・艦船名。この項目では第二次世界大戦の折の巡洋戦艦を扱う。

グナイゼナウとは

1、アウグスト・ヴィルヘルム・アントニウス・フォン・グナイゼナウ。(1760年10月27日~1831年8月23日)

プロイセン王国軍人・陸軍元帥。ナイトハルト伯。

シャルンホルストと共にプロイセン参謀本部を創設し、シャルンホルスト亡きあとは後継者として参謀総長を務め、ナポレオン戦争で祖国を勝利に導く事に貢献した。2.以降の名前の由来で、シャルンホルストとペアで命名されることが多い。

2、ビスマルク級コルベット

1900年、スペインのマラガで座礁し沈没。

3、シャルンホルスト級装甲巡洋艦の二番艦。

第一次世界大戦時、姉妹艦シャルンホルストを旗艦とするマクシミリアン・フォン・シュペー中将率いる東洋艦隊に属し、艦隊のドイツ本国に向けた青島脱出に従う。コロネル沖海戦で英艦隊を破るも、東洋艦隊が壊滅したフォークランド沖海戦で英巡洋戦艦インヴィンシブルインフレキシブルを中心とした強力な英艦隊から味方軽巡洋艦隊を逃す為に旗艦シャルンホルストと共に殿となり姉妹艦ともども撃沈された。

4、第二次世界大戦シャルンホルスト級巡洋戦艦の二番艦。メイン画像右後方の軍艦

本項にて解説。

命名は1.に由来すると共に、ドイツ海軍最大の勝利と最大の悲劇を演じた3.の戦歴を意識して命名されたとの説もある。

5、北ドイツ・ロイド社の貨客船

姉妹船にシャルンホルスト(のちの神鷹)とポツダムがある。

6、西ドイツ海軍のフリゲート

もとイギリス駆逐艦で、同級の一番艦。

シャルンホルスト級巡洋戦艦二番艦グナイゼナウ

主要データ

  • 排水量 : 基準排水量31,850t。満載排水量38,900t。
  • 全長 : 234.9m。
  • 全幅 : 30m。
  • 速力 : 32ノット。
  • 兵装 :
    • 28.3cm三連装砲塔3基。
    • 15cm連装砲塔4基。15cm単装砲4基。
    • 10.5cm連装高角砲7基。
    • 37mm連装機関砲8基。
    • 20mm連装機銃5基。
    • 533mm魚雷三連装発射管2基。
  • 装甲 : 水線350mm。甲板105mm。司令塔350mm。主砲前盾360mm。主砲天蓋150mm。
  • 乗組員 : 1840名。

艦歴

1935年5月キールにて起工。

1936年12月8日進水。

1938年5月21日竣工。

開戦時は艦隊司令長官ヘルマン・ベーム大将の旗艦を務める。

1939年10月8日、ベーム提督の旗艦として軽巡洋艦ケルン、駆逐艦九隻と共に出撃するも英本国艦隊出撃を知り帰還。

11月23日、ベーム提督の後任のヴィルヘルム・マルシャル大将の旗艦としてシャルンホルストと共に英補助巡洋艦ラワルピンディを撃沈。

1940年2月18~20日、マルシャル提督の旗艦としてシャルンホルスト、重巡洋艦アドミラル・ヒッパー、駆逐艦二隻を率いて船団攻撃である「ノルトマルク作戦」で出撃するも戦果無し。

1940年4月、ノルウェー侵攻「ヴェーゼル演習作戦」に侵攻部隊の援護として艦隊司令長官代行のギュンター・リュッチェンス中将の旗艦としてシャルンホルストと共に参加。9日には英巡洋戦艦レナウンを中心とする艦隊と交戦し損傷を受け退避したものの、上陸部隊から英艦隊の目を反らす任務を果たす。

6月「ユーノー作戦」にマルシャル提督の旗艦としてシャルンホルスト、アドミラル・ヒッパー、駆逐艦四隻と共にノルウェー・ハーシュタの英艦隊攻撃の為に出撃。途中、連合軍のノルウェー撤退を察知し、その追撃に移行し、タンカー、兵員輸送船など3隻を沈め、陸軍支援の為にヒッパ―・駆逐艦を分派した後の8日に英空母グローリアス、駆逐艦アカスタアーデントをシャルンホルストと共に沈める大戦果をあげる。

20日、重巡アドミラル・ヒッパーと作戦中、英潜水艦クライドの魚雷を受け損傷。

1941年1月23日「ベルリン作戦」でマルシャル提督の後任となったギュンター・リュッチェンス大将の旗艦としてシャルンホルスト共に大西洋に出撃。3月22日にフランスのブレストに帰港するまでにシャルンホルストと共同で総計22隻の商船を撃沈・拿捕する。

4月6日、英国のボーフォート雷撃機の雷撃を受け損傷。

4月11日、英爆撃機により損傷。

1942年2月12日から13日、「ツェルベルス作戦」でシャルンホルスト、重巡プリンツ・オイゲンと共に駆逐艦6隻、水雷艇14隻、ドイツ空軍の護衛の元、白昼堂々とブレストから英仏海峡を突破し、触雷したもののドイツ本国に帰還。

4月26日、英ウェリントン爆撃機の爆撃で第一砲塔を破壊され艦首部を大破。

この損傷を機に主砲を38cm連装砲塔に換装する工事も兼ねてゴーテンハーフェンに回航されるも、この年の末に工事は中止。

1945年3月28日、ゴーテンハーフェン閉塞船として自沈。

艦長

初代エーリヒ・フェルステ(1938年5月21日~1939年11月25日)


二代目ハラルト・ネツバント(1939年11月26日~1940年8月)

艦隊司令長官リュッチェンス大将と親交があり、後に艦隊参謀長となり「ライン演習作戦」においてビスマルク艦上で戦死。


三代目オットー・ファイン(1940年8月20日~1942年4月14日)

評価はされなかったものの「ツェルベルス作戦」において旗艦シャルンホルストが触雷で脱落した為に作戦中のかなりの部分で艦隊の指揮を執ったと言われる。


四代目ルドルフ・ピーターズ(1942年4月15~17日)


五代目ヴォルフガング・ケーラー(1942年5月~7月)


評価

その高速や主砲口径の小ささから巡洋戦艦扱いされることも多いが、ドイツ海軍自身は戦艦に分類していた。

同時期のフランスのダンケルク級戦艦に比べ、中途半端な攻撃力や旧態依然とした防御方式などから失敗作とも評される。

だが対英三割の兵力で開戦を迎えながらも攻勢に出たドイツ海軍では敵艦隊との戦闘よりも通商破壊戦が主任務で、更に損失を抑える事も望まれた為に、ドイッチュラント級装甲艦の戦艦には速力で、巡洋艦以下には砲力で対抗すると言うコンセプトをより強化した本艦は、ある意味、当時のドイツ海軍の身の丈に合っていた戦艦だったとも言える。

結果的に本艦はドイツ海軍主力艦のなかで姉妹艦シャルンホルストと共に最も活躍した軍艦となった。

関連タグ

ドイツ海軍 巡洋戦艦 シャルンホルスト

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