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戦艦

せんかん

戦艦とは軍艦の一種である。大砲を主要兵器とする。その複雑な構造美は絵心をくすぐる。
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概要

戦艦の定義は一般的に「選択し得る最大のと、それに対応する防御力をもった軍艦」となる。よって圧倒的な火力と防御力を兼ね備えるが、一方で船体の巨大化は避け得ず、概して機動力は低い。艦隊戦においては他艦を圧倒しリアルチートと化す他、陸上では運用不可能な口径の巨砲を以って対地艦砲射撃を行うと、ほぼ一方的に地上部隊を撃破することができる。一方コスト面では建造費用だけで国家予算の数パーセントを要し、毎年莫大な維持費で国家予算を圧迫するとんでもない兵器であった。

戦艦に発する用語として、スケールの大きいモノの比喩としての「超弩級」があるが、これは後述の「超弩級戦艦」という分類名が始まりである。

また「大艦巨砲主義」とは砲が大きな戦艦を多数揃え、敵国をその攻撃力で圧倒することを指すが、今日ではどちらかと言えば否定的な使われ方が多い(かつてのプロ野球の巨人がFAで4番打者ばかり集めた打線など)。

なお、現在は前述した定義の戦艦が存在しない為「戦闘艦」の略称や「軍艦」と同義の俗称として「戦艦」が使われることも多々ある。本来は「戦艦」で単独の意味を持つ為、誤りである。

歴史


前史

戦艦の始祖といわれるのは、南北戦争において北軍が使用した装甲艦モニターである。

USSモニター

装甲艦モニター、奥は南軍の装甲艦バージニアである。こちらも奇天烈な艦影だが、旋回砲塔は持たない。
船体の殆どは、敵弾による被害を防ぐため水中にあり、水面ギリギリの上甲板と装甲化された旋回砲塔のみが水面上に出ている。その珍妙極まりない艦影はしばしば「筏の上のチーズ箱」と形容された。
1862年のハンプトン・ローズ海戦では、前日の襲撃で北軍の木造軍艦を一方的に撫で斬りにした南軍の装甲艦バージニアと交戦。これを撃退し、旋回砲塔の有用性を示した。
一方低い船体と重い砲塔は荒天にめっぽう弱く、同年の大晦日、高波に襲われて敢え無く難破した。

装甲艦から戦艦へ

外洋を航行可能な装甲艦が登場するのは、1860年に就役したフランス海軍のラ・グロワールと、翌年に就役したイギリス海軍のウォーリアからである。ウォーリアは初の全鉄製の高速、重武装、重装甲艦であり、初の戦艦と言われることもある。このような十分に装甲された装甲艦を艦砲で撃沈するのは困難であると考えられた。
このため、撃沈のための武装として重視されたのは衝角(敵艦攻撃用の船首喫水下の出っ張り)である。1866年のリッサ海戦では、オーストリア海軍の衝角攻撃によってイタリア海軍の装甲艦が撃沈された。

主砲そのものは『敵戦艦を撃沈しうる兵器』とは認識されておらず、用途に合わせ主砲、中間砲、副砲、補助砲など、様々な口径の砲が共存していた。
この頃の巨砲を搭載した装甲艦の主流は乾舷(水面から甲板の間の高さ)が低いモニター艦海防戦艦と呼ばれるもので、強力な打撃力を持つ反面速力が遅く航洋性能が低かった。この種の艦は近代戦艦が現れてからも中小国を中心に建造されつづけている。

1890年にフランス海軍は舷側全体に速射砲弾を防御できうる程度の装甲を貼り巡らせ防護巡洋艦に準じる航洋性能を合わせ持つ初の装甲巡洋艦デュピュイ・ド・ロームを建造し、イギリスを除く各国が続々とこれに追随した。
1892年にイギリス海軍で34.3cm砲を搭載した戦艦ロイヤル・ソブリンが誕生すると、これが強靭な装甲と旋回砲塔を持ち、乾舷が高く良好な外洋航行能力を兼ね備えた、近代戦艦の嚆矢となった。
こうして、従来の装甲艦は装甲巡洋艦・戦艦を派生させた。

当時は各砲から個別に照準を設定して射撃を行っており、射程距離いっぱいでの主砲の撃ちあいで砲弾が命中する事は滅多になく、やがて接近しての副砲を併用しての撃ち合いに移行するのが、戦艦の戦闘のセオリーであった。当時の戦艦同士の海戦は数百メートルまで接近して撃ち合う状況であり、敵艦にとどめを刺すための兵器として魚雷発射管も装備していた。

弩級戦艦の登場

日露戦争において行われた日本海海戦では、日本海軍は英海軍の考案した斉射と呼ばれる戦法を行った。これは長距離での砲撃における命中率の向上を図るための戦法で、艦橋から測距と着弾観測を行い、その結果に基き各砲に方位・仰角を指示、艦橋からの指示で全ての砲が同じ照準・タイミングで射撃を行うというものだった。日本海海戦は日本海軍の一方的な勝利に終わり、斉射の有用性と「1万トンを超える戦艦であっても砲撃で撃沈しうる」という事実を世界に知らしめた。

1905年、斉射の有効性を強く認識したジョン・アーバスノット・フィッシャー提督の主導によりイギリスで戦艦ドレッドノートが建造された。この艦は斉射をより効率的に行うため、舷側の副砲や中間砲を廃止、同口径の主砲を両側に攻撃できる中心軸線上に集中配置した。これによって斉射できる主砲の数は最大四基八門となり単純に倍増、「単艦で従来艦二隻の戦力」と謳われたが、二隻分の火力を単艦で斉射できるというのはそれ以上の攻撃力をもたらした。
さらには小型高出力の蒸気タービンの採用により、従来のレシプロ蒸気機関の戦艦が18ノット程度の速力であったのに対し、一躍21ノットもの高速を実現、常に自艦に有利な戦闘距離を保つことができた。
従来の戦艦はドレッドノートと交戦した場合、逃げることも間合いを詰めることも出来ず、長距離火力を受け続けるしかないという革命的な戦艦であった。

既存の戦艦は一気に旧式化し、以後戦艦はドレッドノートが基準となり「準弩級」「弩級」「超弩級」と区分され、さらに旧式の艦は「前弩級」と呼ばれるようになった。

戦艦三笠

前弩級戦艦三笠、前後の旋回砲塔に入っているのが主砲の30.5センチ連装砲、舷側に並んだ砲のうち、上段両端と下段が副砲の15.2センチ砲、上段内側が補助砲の7.6センチ砲である。門数こそ多いが、主砲は二基四門のみ。

戦艦 摂津

弩級戦艦摂津。主砲は六基十二門にも増加し、長距離での火力は前弩級戦艦のそれを大きく上回った。ただし中心軸上に設置されたのは二基のみで、残り四基は両舷に二基ずつの設置で、斉射できる最大門数はドレッドノートと同じ四基八門である。

大艦巨砲主義と建艦競走

ドレッドノート以降、主砲が有用な兵器と認識されると、各国ともより強力な主砲と、それを搭載する大型艦の開発を競う状況になった。『主力艦』たる新鋭戦艦は海戦、ひいては戦争そのものの勝敗を決する最重要兵器と考えられ、戦艦を建造できない中小国でも速力と航行力、装甲を割り切って沿岸防衛用途に特化し、戦艦に準ずる攻撃力を持つ海防戦艦の建造が行われた。

一方列強にとって戦艦は単なる決戦兵器ではなく重要な戦略兵器であり、他国より強力な戦艦を保有することは安全保障に限らず、強力な外交カードとなり、国威を示すものであった。
特に世界最大の海軍保有国であったイギリスとそれに次ぐドイツは熾烈な建艦競走を繰り広げた。また、日本海海戦において戦艦に準ずる攻撃力をもつ装甲巡洋艦が戦艦と協力して多大な戦果を挙げたことから、これを拡大し『防御力は犠牲にするが、戦艦並みの攻撃力と巡洋艦並みの速力をもつ』というコンセプトの巡洋戦艦も日本とイギリスでは重要視され、ドイツにおいても多数建造された。

巡洋戦艦 金剛

日本海軍の巡洋戦艦金剛。35.6センチ砲という当時世界最大の主砲と高い速力を兼ね備えた巡洋戦艦であった。

HMS インビンシブル 1914

イギリス海軍の巡洋戦艦インヴィンシブル。ドレッドノートと平行して建造された世界初の巡洋戦艦である。主砲はドレッドノートと同じ30.5センチ砲だが、機関出力八割増しで速力は25.5ノット。反面防御力は他国の装甲巡洋艦と比べてすら貧弱である。

SMSリュッツオー

ドイツ海軍の巡洋戦艦リュッツォウ。ドイツの巡洋戦艦は、日英のそれとはコンセプトが若干異なっており、『戦艦に準ずる主砲と防御力を持ち、速力は巡洋艦なみ』というものであった。

第一次世界大戦


第一次世界大戦においては、主にイギリス海軍とドイツ海軍の間で数々の海戦が繰り広げられたが、1916年にデンマークのユトランド半島沖で行われたユトランド沖海戦は、同大戦における唯一の主力艦同士の決戦となり、また海軍史においても大きな意味を持つ海戦となった。
両軍とも高速の巡洋戦艦を前衛として先行させ、その後を低速の戦艦部隊が追随した。この前衛同士が会敵し、英独の巡洋戦艦同士による激しい砲撃戦が行われた後、両軍の戦艦部隊も戦場に到着したが、戦艦同士の会敵から僅か数分でドイツ艦隊は反転撤退し、両軍の戦艦が満足に砲火を交える間も無く戦闘は終結してしまった。このため、戦争全体には決定的な影響を与えることはなく、以後2年も戦争は続いた。
この海戦では鈍足な戦艦は戦闘に参加すらできないと判明。以後、戦艦は高速力を持つことが必須となった。またこの海戦における主力艦の損失は、ドイツが前弩級戦艦ポンメルンの撃沈と、巡洋戦艦リュッツォーが大破のち自沈に留まったのに対し、イギリスはインディファティガブルクイーン・メリーインヴィンシブルの三隻の巡洋戦艦を失った他、巡洋戦艦ライオンも大破した。
これによりイギリス式巡洋戦艦のコンセプトである「速度は装甲」が、砲の射程の伸延により成り立たなくなっていることが判明し、建造中の巡洋戦艦が大幅な改設計を余儀なくされた。それまでは横から飛来する敵弾を防ぐため、水面に対し垂直に設置された垂直防御が重視されていたが、砲弾は真横からではなく上から降ってくるものとなり、クイーン・メリーは砲弾が垂直防御装甲を飛び越えて弾薬庫を直撃、爆沈した(クイーン・メリーには日本海軍の下村忠助中佐が観戦武官として乗艦していたが、同艦と運命を共にしている)。
また、日本でもユトランド沖海戦の戦訓を踏まえて全艦の防御力の再検証が実施され、全ての戦艦で水平防御が不十分という結論となった。計画中の長門陸奥は水平防御の増強を中心とした設計改善が行われた。
このようにユトランド沖海戦の戦訓を元に建造された戦艦をポスト・ユトランド型戦艦と言う。

無題

ポスト・ユトランド型巡洋戦艦フッド。ユトランド沖海戦の戦訓から防御力の大幅な増強が行われ、巡洋戦艦としては格段の防御力を手に入れた。

無題

日本のポスト・ユトランド型戦艦長門

海軍休日(ネイバルホリデー)

第一次世界大戦後、凋落したドイツ海軍に代わって日本海軍とアメリカ海軍が台頭しはじめ、日米英の三ヶ国による建艦競争が始まった。世界一の座を狙うアメリカで大型艦の建造ラッシュが始まると、対抗して日本では戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を戦力の中心とする八八艦隊の整備が開始され、イギリスも両国に必死で追い縋った。
各国とも大艦巨砲主義のもとに艦隊整備を進めたため、主力艦の巨大化は留まるところを知らず、建艦費用や維持費用は莫大なものになっていった。日本では海軍費は歳出の3分の1を占める5億円に達し、さらに増加する傾向にあった。戦艦はますます大型・複雑・高価となり、その一方で魚雷など小型の武器に弱く、投入し難い兵器となった。

莫大な海軍費に苦しんだ列強各国は、1922年ワシントン海軍軍縮条約を締結、主力艦の保有量が国ごとに制限され、計画中及び建造中の主力艦の廃棄と、主力艦の建造を向こう十年休止することが定められた。建造休止はロンドン海軍軍縮条約によってさらに五年延長され、1936年に失効するまでの十五年間、三ヶ国における主力艦の建艦競争は収束した。
空母にも保有制限が課せられたが成立間もない艦種であり、主力とはみなされていなかった。したがって各国ともその保有枠に余裕があり、建造中止となった戦艦の船体を空母に改装することで赤城加賀レキシントン級といったそれまでにない巨大空母が登場した。
一方、フランスイタリアはワシントン海軍軍縮条約に参加したものの、ロンドン海軍軍縮条約には参加せず、1933年から主力艦の建造を再開。そこにドイツが加わって独仏伊の三ヶ国による建艦競争が勃発した。
1936年の条約失効を前に1935年、第二次ロンドン海軍軍縮会議が開かれた。しかし予備交渉が難航したため日本は条約から脱退。日本の脱退により意味を失ったため36年の条約失効をもって海軍休日は終了、各国は再び大型艦の建造を再開した。

条約破棄と、最後の建艦競争

ドイツが条約下でドイッチュラント級を建造したのに対し、フランスはダンケルク級で対抗、これにイタリアがリットリオ級、ドイツがシャルンホルスト級を建造して対抗すると、フランスはリシュリュー級戦艦の建造に着手、さらにはドイツがビスマルク級を建造するという壮絶な建艦競争が繰り広げられた。
一方、日英米でも軍縮条約での遅れを取り戻すべく怒涛の建艦ラッシュが始まった。アメリカは僅か3年の間にノースカロライナ級2隻、サウスダコタ級4隻、アイオワ級4隻を立て続けに就役させ、イギリスではキング・ジョージ5世級5隻、さらに日本では大和型戦艦2隻が建造された。

第二次世界大戦

建造費の高騰は戦艦の投入を非現実的なものとした。各国ともその使用に及び腰となり、トラック泊地の『大和ホテル』『武蔵旅館』、アルタフィヨルドのティルピッツのように泊地に引き篭もる例や、タラント空襲真珠湾攻撃のように、航空攻撃によって港湾内で無力化される例が相次いだ。日本海軍の陸上攻撃機によるプリンス・オブ・ウェールズ撃沈により、最新鋭戦艦すら航空攻撃で沈むと分かり、戦艦は『最強の兵器』の座を追われた。
一方で戦艦の強力な火砲は未だ有用であり、対地攻撃や空母機動部隊の護衛に供されて活躍をすることもあった。

日本の戦艦に対する評価

「金剛型以外はろくに活躍していない」と言われるが、実際、金剛型以外の戦艦の出撃回数は非常に少ない。消費燃料に差があるのかと言うとそうでもなく、長門型や大和型に関しては空母機動部隊に随伴できないほど遅い訳でもない。
ただし、当時の日本の燃料事情では多数の戦艦を同時に運用するのは無理があった。運用されるわずかな戦艦に金剛型が選ばれた理由は「古いので失っても痛く無い」という点にある。

日本は世界に先駆けて航空戦力の有用性を知らしめたが、敵国(特にアメリカ)も日本の艦艇を沈める手段として航空戦力の増強に邁進していた。当然、国家財政を傾けて建造した戦艦たちもその標的となる。
ちなみに、航空攻撃“のみ”によって喪失した連合軍側の戦艦はアリゾナオクラホマプリンス・オブ・ウェールズローマの4隻。真珠湾攻撃によって破壊されたその他の戦艦も、アリゾナ、オクラホマ以外は、全て浮揚修復されレイテ沖海戦までに復帰している。またプリンス・オブ・ウェールズは東洋艦隊派遣以前にビスマルク追撃戦に参加しており、その際のダメージの回復が万全ではなかったとも言われている。
一方、日本側はと言うと、これまた航空攻撃“のみ”で喪失した戦艦は大和と武蔵の2隻のみである。ただし、武蔵や大和の撃沈は海戦史上空前絶後の猛攻を受けてのものである。

結局、日本戦艦の低評価の理由は“使いどころを誤った”と言うのが結論だろう。

戦艦の終焉

1950年代以降、ミサイルの高性能化により、戦闘は戦艦の主砲の射程圏外で行われるようになり、さらに装甲で対艦ミサイルによる攻撃を防ぐことはできず、艦砲の海戦における意義は完全に消滅。ミサイル駆逐艦の登場で防空艦としての意義すら失った戦艦は、各国で次々と廃止されていった。

1960年代以降戦艦の運用を続けたのはアメリカ海軍のみだが、湾岸戦争において最後の出撃が行われた。
ミズーリ」と「ウィスコンシン」がCIWSでの自衛能力、ハープーンミサイルでの艦対艦攻撃能力、トマホークミサイルでの艦対地超長距離攻撃能力を付与されており、陽動作戦及び長距離砲陣地や後方支援用施設の事前攻撃任務に就いた。
機雷の脅威もあって陸地へあまり近づけなかったが「砂漠の嵐」作戦ではトマホークミサイルによる長距離爆撃だけでなく艦砲射撃によりイラク軍砲兵陣地は沈黙、多くの軍施設の破壊に成功。
また、「砂漠の剣」作戦では合衆国海兵隊の支援にも艦砲射撃は使われ、海兵隊員を鼓舞することとなった。
艦砲射撃は心理的効果もあり、艦砲の榴弾では破壊の出来ない陣地に居ようとも着弾にイラク兵は恐怖し、着弾観測用にUAVも使用したことから上空にUAVが飛ぶだけでイラク軍将兵が艦砲射撃を受けると勘違いし、戦意喪失して降伏してきた事もあった。
なお、ミズーリに対し2発のシルクワーム対艦ミサイルによる攻撃が行われたが、1発はチャフによりかく乱されて海面へ落下、もう1発は護衛のイギリス海軍の42型駆逐艦「グロスター」が発射したシーダート対空ミサイルにより撃墜されている。

以上の戦果により、艦砲射撃の攻撃力・信頼性・持続性・全天候性から戦艦の戦術的意義は現代においても失われていないことが証明されたが、戦艦を単なる浮き砲台として使うには維持費がかかり過ぎ、射撃指揮システムを扱える人材も高齢化していた。冷戦終結後の軍事費縮小に伴いアイオワ級戦艦も退役した。

ロシア海軍のキーロフ級ミサイル巡洋艦は基準排水量2万4300トンと超弩級戦艦並みで、ジェーン海軍年鑑では巡洋戦艦に分類されているが、巡洋戦艦の定義である「戦艦と同等の大口径砲を持ち、高速性能を持つ」に該当せず、これは冷戦期の「ジェーン海軍年鑑」で暫々見られる実態と異なる記述の一つである。
現代的なミサイル艦が大型化したものであり、通常「巡洋戦艦」に分類されることはない。

主な戦艦


前弩級第一次世界大戦ポストユトランド型新戦艦その他
日本富士型,敷島型河内型,金剛型,扶桑型,伊勢型長門型大和型
アメリカインディアナユタ,ネバダ,アリゾナコロラド級ノースカロライナ級,アイオワ級
イギリスロイヤル・ソブリン,キング・エドワード7世ドレッドノート,アイアンデューク,ウォースパイト,ロイヤル・オークネルソン級キング・ジョージ5世級,ヴァンガード
ドイツポンメルン,シュレジェン,シュレスヴィヒ・ホルシュタインナッサウ,ヘルゴラント,バイエルンドイッチュラント級,シャルンホルスト級,ビスマルク級
フランスグロワールプロヴァンス級ダンケルク級,リシュリュー級
イタリアイタリアダンテ・アリギエーリ,コンテ・ディ・カブール級ヴィットリオ・ヴェネト級
ロシア・ソ連クニャージ・スワロフ,オスリャービャ,クニャージ・ポチョムキン・タウリチェスキー公ガングート,ポルタワ,セヴァストポリ,ペトロパブロフスク,ガングート級戦艦,インペラトリッツァ・マリーヤ級
その他定遠イルマリネン


大日本帝国海軍

戦艦 三笠


同型艦「敷島」「朝日」「初瀬」「三笠
日露戦争時の主力戦艦。ロシア海軍に対抗しうる戦艦としてイギリスに発注され、当時世界最大の戦艦として就役した。
黄海海戦、日本海海戦で主力戦艦として活躍した。
三笠は現在、横須賀港で記念館として保存されている。

同型艦「河内」「摂津
日本海軍で最初で最後の弩級戦艦
河内は横須賀海軍工廠で建造され、徳山湾で爆発事故により沈没。摂津は呉海軍工廠にて建造され、ワシントン海軍軍縮条約で戦艦「陸奥」を保有する代わりに保有枠を外れ、標的艦として終戦まで生き残った。

戦艦比叡


同型艦「金剛」「比叡」「榛名」「霧島
日本海軍は英国頼りだった主力艦を自国で賄うべく努力を続けていたが、技術不足は否めず、技術導入のためヴィッカース社に発注して金剛を建造。金剛の設計図を元に比叡が横須賀海軍工廠、榛名が川崎造船所(神戸)、霧島が三菱造船所(長崎)で建造された。
老齢艦ながら近代化改修により高速を得、空母機動部隊に随伴が可能で、日本海軍の戦艦としては最も活躍した。

今日の戦艦『扶桑』


同型艦「扶桑」「山城
大日本帝国海軍初の国産超弩級戦艦であり、世界で初めて排水量が三万トンを超えた戦艦であったが、設計の失敗により大改修を受け続け、「艦隊に居る方が珍しい」と言われた。太平洋戦争開戦時には異様な高さに積み上がった細長い艦橋が一つの特徴といえる艦影となっていた。

同型艦「伊勢」「日向
扶桑型の改良型で、改装により世界で唯一の航空戦艦となった。
航空戦艦化はミッドウェー海戦における主力4空母喪失の穴を埋めるための苦肉の策だったが、カタパルトにより発艦はできても着艦は不可能で、本級を発進した航空機は最寄の陸上基地や他の空母に降りるか、機体を捨ててパイロットのみ回収するしかなかった。

戦艦長門


同型艦「長門」「陸奥
太平洋戦争開戦時の日本の主力戦艦。41センチ(≒16インチ)砲を搭載した「ビッグ7」に名を連ね、国民に広く親しまれ日本海軍の象徴だった。
太平洋戦争中は温存策のため目立った活躍はなく、陸奥は柱島泊地で謎の爆発を起こし轟沈、長門は唯一行動可能な戦艦として終戦時まで残った。

大和戦隊


同型艦「大和」「武蔵
世界最大の戦艦。大和型戦艦の存在は軍事機密であり、戦後まで国民に知らされることはなかった。
口径46センチ(≒18インチ)の主砲を搭載、徹底した集中防御により、攻守共に世界最高レベルにあったが、温存され目立った活躍はなかった。
武蔵はシブヤン海、大和は坊ノ岬沖で米空母の攻撃を受けて沈没した。

アメリカ合衆国海軍

戦艦 アイオワ


同型艦「アイオワ」「ニュージャージー」「ミズーリ」「ウィスコンシン
アメリカ海軍が最後に建造した戦艦。
アイオワ級の高速力は砲戦以外の任務においても非常に有用であり、大戦後もアイオワ級を長く生き延びさせることにもなった。
戦後は主に予備役にあったものの、ベトナム戦争、湾岸戦争、レバノン内戦と近代化改修を受けながら度々現役復帰して艦砲射撃を行った。1992年のミズーリ退役を最後に全艦が退役、現在は全艦が博物館として一般公開されている。

イギリス王立海軍

同型艦なし。
戦艦の概念を一変させた革新的な艦。詳しくは本記事中の『弩級戦艦の登場』を参照されたい。

同型艦「クイーン・エリザベス」「ウォースパイト」「バーラム」「ヴァリアント」「マレーヤ」
14インチ砲搭載戦艦を計画していたドイツに対し、15インチ砲搭載艦を配備することで優位を維持するために計画された。計画当初、15インチ砲の現物は存在しなかったが、海軍大臣ウィンストン・チャーチルのゴリ押しで主砲の完成前に船体と砲塔を設計するという前代未聞の建造となった。
ボイラーを新開発の重油専用缶としたため燃費は大きく向上し、従来機関兵が煤まみれになりながら行っていた石炭の積み込みや、ボイラーへの投入がバルブを開けるだけで済むようになった。
同型艦なし。
ユトランド沖海戦の戦訓を踏まえたポストユトランド型巡洋戦艦であり、従来のイギリス式巡洋戦艦に比べて格段の防御力を得た。
軍艦美の極致とも言われる巨大で均整の取れた艦影から戦間期はマイティフッドとして国民に親しまれたが、デンマーク海峡海戦で距離14kmからのビスマルクの砲撃が火薬庫に命中し、轟沈した。
同型艦「ネルソン」「ロドネイ
日本が陸奥を保有する代償として、イギリスが得た二隻の16インチ砲搭載枠で建造され、世界のビッグ7に数えられた。
16インチ三連装砲塔を艦橋の前に三基集中配置という異形の艦型となった。建造後に数々の不備が発覚したものの、大戦中は各地で酷使され、傷みの激しかったロドネイは係留状態で終戦を迎えた。

キング・ジョージ5世


同型艦「キング・ジョージ5世」「プリンス・オブ・ウェールズ」「デューク・オブ・ヨーク」「アンソン」「ハウ」
イギリスが海軍休日終了後に建造した艦級。チャーチル首相をして「戦艦のような物」と言わしめた。
14インチ四連装砲塔三基の予定だったが、重量超過のため2番砲塔は連装砲塔となった。四連装砲塔の初期の稼働率は低かった。
完成度はともかく、戦争中に5隻もの同型艦の就役を間に合わせた事で活躍度は各国の新戦艦の中でもトップクラスである。戦いは数だよ兄貴!

ドイツ海軍

アドミラル・グラーフ・シュペー


同型艦「ドイッチュラントリュッツオウ」「アドミラル・シェーア」「アドミラル・グラーフ・シュペー
戦間期のドイツ海軍がヴェルサイユ条約下で完成させた装甲艦。英国の新聞でポケット戦艦と紹介されたが、実質巡洋艦である。
防御力を犠牲にし、戦艦を振り切れる速力と、重巡を圧倒できる攻撃力を持つ筈であったが、実際にはどちらも中途半端で、戦闘力的には平凡な艦であった。しかし、ドイツが制限下で有力な戦闘艦を完成させたことはイギリス、フランス両国に衝撃を与え、特にフランスには大規模な海軍拡充を強いるることで経済的負担をもたらしている。
実際の戦闘力よりも、巧みなプレゼンスで戦略的に成功した艦であると言える。

Rendsburger Hochbrucke


同型艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ
ドイッチュラント級に続いて建造された巡洋戦艦。
フランスのダンケルク級に対抗するために建造されたが、ダンケルク級に対抗できる性能はなかった。世界で最も美しい戦艦の一つともいわれる。
シャルンホルストは北岬沖海戦で沈没。グナイゼナウはヒトラーの「大型艦廃棄命令」により廃艦。

戦艦 ビスマルク


同型艦「ビスマルク」「ティルピッツ
ドイツ最後の超弩級戦艦。フランスのダンケルク級がバルト海に侵入することを阻止するための戦艦であったが、就役した時には既にフランスは降伏、ソ連とも不可侵条約を結び、バルト海における任務は完全に消滅していた。
ビスマルクはライン演習作戦(大西洋での通商破壊)のために出撃、これを阻止せんとするイギリス本国艦隊相手に大立ち回りを演じた末沈没した。
ティルピッツは損失を恐れてノルウェーのフィヨルド内に匿われたが、爆撃を受けて沈没した。

イタリア海軍

同型艦なし。宿敵であるオーストリア=ハンガリー帝国海軍に対抗すべく建造した戦艦である。第一次世界大戦では特に目立った戦績も挙げず、1928年に除籍され解体された。

同型艦「ヴィットリオ・ヴェネト」「リットリオイタリア」「インペロ」「ローマ
イタリア海軍最初で最後の超弩級戦艦。地中海の中しか移動しない前提で設計されているため航続距離は短い。その分を他のステータスに振っているため、バランスのとれた強力な艦となった。ローマは昨日までの友軍だったドイツ軍にフリッツXで撃沈された。

ロシア・ソビエト海軍

戦艦ポチョムキン


同型艦なし。映画「戦艦ポチョムキン」に登場。
黒海艦隊全体での一斉蜂起が計画されていたのだが、昼食の肉が腐っていたことが原因で予定より大幅に早くポチョムキン単独の蜂起が起きた。ポチョムキンは蜂起に賛同した水雷艇一隻を伴って反乱艦隊を編成し、黒海各地の港を転々とした。最終的に乗員はルーマニアに亡命、艦はルーマニア政府からロシア海軍に返還された。

同型艦「ガングート→オクチャブリスカヤ・レヴォリューツィヤ→ガングート」「ペトロパブロフスクマラート→ペトロパブロフスク」「ポルタワ→フルンゼ」「セヴァストポリ→パリジスカヤ・コンムナ→セヴァストポリ」
ロシア海軍が初めて建造した弩級戦艦。
ペトロパブロフスクはマラート時代にハンス・ウルリッヒ・ルーデルに沈められたことがある。まあ、相手が悪かった(その後、浮揚され復帰)。

清国海軍

清帝国装甲艦「鎮遠」~黄海の龍 第三話「横浜来航」挿絵~


同型艦「定遠」「鎮遠
中国が四千年の歴史の中で唯一保有した戦艦。
清国軍の近代化に伴い、ドイツのフルカン造船所に発注された。東洋一の堅艦と謳われ、1894年9月の黄海海戦において日本海軍が多数の命中弾を浴びせたものの、厚い装甲のため無力化することはできなかった。
定遠は翌年2月、水雷艇の雷撃を受けて威海衛で擱座し自沈。鎮遠は威海衛で座礁し日本軍に鹵獲された。

関連タグ

軍艦 大砲 装甲
巡洋戦艦 高速戦艦 前弩級戦艦 弩級戦艦 超弩級戦艦
戦列艦 海防戦艦 航空戦艦 ポケット戦艦 アーセナルシップ
宇宙戦艦 飛行戦艦 陸上戦艦
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