レイテ沖海戦の全体の流れは、該当の記事を参照。
エンガノ岬沖海戦まで
小沢治三郎提督率いる機動部隊は、捷一号作戦の囮役となるべく10月19日に日本本土を出撃し、南下を続けていた。
囮任務が成功する前にアメリカ機動部隊は栗田艦隊を発見、10月24日にシブヤン海にて猛攻撃を加え巨大戦艦・武蔵を撃沈する。
同日、小沢機動部隊はなけなしの艦載機を発進させ、アメリカ機動部隊への攻撃を行う。
この攻撃が、日本海軍機動部隊として最後の航空攻撃となった。
わずか六十機弱の攻撃隊は、一部がアメリカ軍の迎撃網を突破しアメリカ機動部隊への攻撃に成功するものの、戦果は至近弾数発のみであった。
なお、攻撃隊は攻撃終了後には囮役の母艦ではなく、マニラの陸上基地へ向かうよう指示されていたため帰投していない。
(実際にどれだけの機体が、誘導も無い状態で数百キロ離れたマニラへ到着できたかは不明である)
囮作戦の成功を確信した小沢提督は、直掩用の零戦わずかを残して残りの艦載機を陸上退避させたため、以後の小沢艦隊は機動部隊でありながら、ほぼ航空戦力は無いに等しい状態となった。
そしてこの日の夜にはスリガオ海峡夜戦にて西村艦隊が全滅している。
エンガノ岬沖海戦
第一次空襲(千歳沈没)
前日に小沢機動部隊を発見したアメリカ機動部隊は200機近い攻撃隊を発艦させ、8時過ぎに小沢機動部隊に襲い掛かった。
小沢機動部隊は瑞鶴・瑞鳳を中核とした本隊と、千歳・千代田を中核とした支隊に分かれて進撃していたが、いずれも空母に攻撃が集中した。
アメリカ艦載機群の猛攻撃に反撃する航空戦力も無い小沢機動部隊は、まず支隊の駆逐艦・秋月が爆発を起こし轟沈。
四空母の中で、最初の喪失艦となった。
そして瑞鶴も魚雷を受けて速力低下するなど、各艦も次々に被害を受けていった。囮作戦の成功を受け、瑞鶴からは栗田艦隊に向け必死に打電していた。
第二次空襲(千代田落伍)
第一次攻撃隊が去ってすぐの10時過ぎには、アメリカ艦載機群の第二波による攻撃が開始される。
この攻撃により千代田に爆弾が直撃、機関部を破壊された千代田は航行不能となり、単艦で艦隊から落伍してしまう。
これにより、機動部隊に残る空母は本隊の瑞鶴と瑞鳳のみとなった。
なお、この間に艦隊旗艦は、損傷の大きい瑞鶴から大淀へ移されている。
第三次空襲(瑞鶴、瑞鳳沈没)
満身創痍の小沢機動部隊に対し、13時過ぎには再び200機近い機から成る第三次攻撃隊が殺到する。
ここまで生き残ってきた瑞鶴と瑞鳳であったが、すでに速力も低下したところに集中攻撃を受け、次々に被害を受けてしまう。
この時、共に必死の回避運動を行う瑞鶴と瑞鳳、そして炎上しながらも対空戦闘を行う瑞鳳の姿が米軍機のガンカメラにより写真として遺されている。
そして14時14分、真珠湾攻撃以来の武勲艦であり幸運の空母と謳われた瑞鶴がついに沈没。
唯一残された瑞鳳も損傷に耐えきれず艦体が切断し、15時27分に沈没した。
瑞鳳の沈没により小沢艦隊は機動部隊の体を成さなくなり、ここに栄光の日本海軍機動部隊は消滅した。
第一次砲戦(千代田沈没)
アメリカ艦隊はより完全に小沢機動部隊を撃滅すべく、高速な重巡洋艦部隊を北上させていた。
第二次攻撃隊襲来時に艦隊からはぐれ、単艦で漂流中の千代田はこの重巡洋艦部隊と遭遇すると、高角砲により応戦を開始する。
アメリカ重巡洋艦部隊は航行不能ながら反撃してくる千代田に猛砲撃を加え、これを撃沈している。
第四次空襲
17時過ぎ、全ての空母を失った小沢艦隊に対し、更にアメリカ艦載機の大編隊が攻撃を開始する。
しかし両艦は鈍重な旧式戦艦でありながら、新装備である噴進砲をはじめとする強力な対空兵装と効果的な回避運動により、直撃弾を受けずに切り抜ける事に成功する。
第二次砲戦(初月の勇戦)
第四次空襲の終了後、小沢艦隊は本隊と支隊が合同した。
そして五十鈴と若月そして初月が、漂流した千代田の捜索に派遣される。しかし、不運にもこの捜索隊は千代田を葬ったアメリカ重巡艦隊と遭遇してしまう。
勝ち目無しと見た五十鈴と若月はただちに煙幕展開し反転、離脱を開始したが、初月は反転せずアメリカ艦隊に突撃、戦闘を開始する。
初月は単艦でアメリカ艦隊を2時間以上にわたって翻弄し、その間に五十鈴と若月は離脱に成功する。
しかし、味方を逃がす事に成功した初月は、退避中についに捕捉されるとアメリカ艦隊の集中攻撃を受けて爆沈した。
その後
小沢艦隊は伊勢と日向の砲戦力を持ってアメリカ艦隊を攻撃すべく南下を続けたが、燃料の不足により帰投した。
囮となった小沢艦隊は空母四隻の全滅と引き換えに、狙い通りにアメリカ機動部隊を攻撃を引き受けることに成功した。
だが、囮艦隊の奇策と犠牲を持って行われるはずだった決戦は、栗田艦隊の謎の反転により幻となって終わった。
この戦いの後、日本海軍が機動部隊を編成して戦う機会は、もはや二度と無かった。