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エンガノ岬沖海戦の編集履歴

2014-07-23 14:48:46 バージョン

エンガノ岬沖海戦

えんがのみさきおきかいせん

エンガノ岬沖海戦とは、1944年10月25日にレイテ沖海戦の中で発生した戦いである。

レイテ沖海戦の全体の流れは、該当の記事を参照。

挿し絵は、『艦隊これくしょん』のキャラクター(艦娘)を用いたイメージである。


エンガノ岬沖海戦まで

小沢治三郎中将率いる機動部隊(三航戦瑞鶴を加えた最終編成))、四航戦航空戦艦伊勢日向)、大淀五十鈴多摩、駆逐艦8隻)は、捷一号作戦の囮役となるべく10月19日に瀬戸内海を出撃、20日大分で航空機を収容して日本本土を離れ、敵潜水艦の哨戒網の穴をすり抜けてフィリピン近海へ南下を続けていた。


しかし小沢艦隊による囮任務が成功する前にハルゼー大将指揮のアメリカ海軍機動部隊(空母17隻、アイオワ級戦艦をはじめ護衛の艦艇多数)は栗田健男中将指揮の大和武蔵長門金剛榛名の戦艦5隻を擁する栗田艦隊(妙高熊野利根などの残存の重巡の大半も所属)を発見、10月24日にシブヤン海にて猛攻撃を加え戦艦武蔵を撃沈する。

同日、小沢機動部隊はなけなしの艦載機を発進させ、アメリカ機動部隊への攻撃を行う。

この攻撃が、日本海軍機動部隊として最後の航空攻撃となった。


わずか六十機弱の攻撃隊は、一部がアメリカ軍の迎撃網を突破しアメリカ機動部隊への攻撃に成功するものの、戦果は至近弾数発のみであった。

なお、攻撃隊は攻撃終了後には囮役の母艦ではなく、マニラの陸上基地へ向かうよう指示されていたため帰投していない。

(実際にどれだけの機体が、誘導も無い状態で数百キロ離れたマニラへ到着できたかは不明である)

航空隊発艦


夕方、アメリカ機動部隊の偵察機が小沢機動部隊を発見。

囮作戦の成功を確信した小沢提督は、直掩用の零戦わずかを残して残りの艦載機を陸上退避させたため、以後の小沢艦隊は機動部隊でありながら、ほぼ航空戦力は無いに等しい状態となった。


そしてこの日のにはスリガオ海峡夜戦にて西村艦隊時雨を残して全滅している。


エンガノ岬沖海戦

第一次空襲(千歳沈没)

前日に小沢機動部隊を発見したアメリカ機動部隊は200機近い攻撃隊を発艦させ、8時過ぎに小沢機動部隊に襲い掛かった。

小沢機動部隊は瑞鶴・瑞鳳を中核とした本隊と、千歳・千代田を中核とした支隊に分かれて進撃していたが、いずれも空母に攻撃が集中した。


アメリカ艦載機群の猛攻撃に反撃する航空戦力も無い小沢機動部隊は、まず支隊の駆逐艦・秋月が爆発を起こし轟沈

続いて8時15分には直撃弾を受けた千歳が爆発炎上し、沈没。

四空母の中で、最初の喪失艦となった。

センシティブな作品


そして瑞鶴も魚雷を受けて速力低下するなど、各艦も次々に被害を受けていった。囮作戦の成功を受け、瑞鶴からは栗田艦隊に向け必死に打電していたが栗田中将座乗の戦艦大和に明確に囮作戦成功を伝える電文はついに届かなかった。


最後の囮作戦


第二次空襲(千代田落伍)

第一次攻撃隊が去ってすぐの10時過ぎには、アメリカ艦載機群の第二波による攻撃が開始される。

この攻撃により千代田に爆弾が直撃、機関部を破壊された千代田は航行不能となり、単艦で艦隊から落伍してしまう。


これにより、機動部隊に残る空母は本隊の瑞鶴と瑞鳳のみとなった。

なお、この間に艦隊旗艦は、損傷の大きい瑞鶴から大淀へ移されている。


第三次空襲(瑞鶴、瑞鳳沈没)

満身創痍の小沢機動部隊に対し、13時過ぎには再び200機近い機から成る第三次攻撃隊が殺到する。

ここまで生き残ってきた瑞鶴と瑞鳳であったが、すでに速力も低下したところに集中攻撃を受け、次々に被害を受けてしまう。


この時、共に必死の回避運動を行う瑞鶴と瑞鳳、そして炎上しながらも対空戦闘を行う瑞鳳の姿が米軍機のガンカメラにより写真として遺されている。


そして14時14分、真珠湾攻撃以来の武勲艦であり幸運の空母と謳われた瑞鶴がついに沈没。

唯一残された瑞鳳も損傷に耐えきれず艦体が切断し、15時27分に沈没した。


瑞鳳の沈没により小沢艦隊は機動部隊の体を成さなくなり、ここに栄光の日本海軍機動部隊は消滅した。

瑞鶴と瑞鳳



第一次砲戦(千代田沈没)

アメリカ艦隊はより完全に小沢機動部隊を撃滅すべく、高速な重巡洋艦部隊を北上させていた。

第二次攻撃隊襲来時に艦隊からはぐれ、単艦で漂流中の千代田はこの重巡洋艦部隊と遭遇すると、高角砲により応戦を開始する。


アメリカ重巡洋艦部隊は航行不能ながら反撃してくる千代田に猛砲撃を加え、これを撃沈している。

【艦これ】史実で艦これ26【千代田】


第四次空襲(伊勢、日向の奮戦)

17時過ぎ、全ての空母を失った小沢艦隊に対し、更にアメリカ艦載機の大編隊が攻撃を開始する。

攻撃は大型艦艇である航空戦艦伊勢と日向に集中した。

伊勢と日向は中瀬泝(伊勢)、野村留吉(日向)の2人の新米艦長が指揮する鈍重な航空戦艦でありながら、新装備である噴進砲をはじめとする強力な対空兵装による弾幕射撃と戦隊司令松田千秋少将作成の回避マニュアルを用いた効果的な回避運動により、直撃弾を受けず(至近弾による若干の損傷は有り)に切り抜ける事に成功する。(この時伊勢は対空戦闘継続中に洋上で機関停止して瑞鳳乗員を救助する離れ業を見せるがそれがどれだけ危険な行為かは言うまでもない)

2隻の活躍は攻撃側の指揮官ハルゼー提督をして、「老練なる艦長の回避行動により、ついに一発の命中弾も得ず」と嘆じさせた。(実際は上記の通り老練どころか全くの新米艦長)                                                      
イセタソー



第二次砲戦(初月の勇戦)

第四次空襲の終了後、小沢艦隊は本隊と支隊が合同した。

そして五十鈴と若月そして初月が、漂流した千代田の捜索に派遣される。しかし、不運にもこの捜索隊は千代田を葬ったアメリカ重巡艦隊と遭遇してしまう。


勝ち目無しと見た五十鈴と若月はただちに煙幕展開し反転、離脱を開始したが、初月は反転せずアメリカ艦隊に突撃、戦闘を開始する。

初月は単艦でアメリカ艦隊を2時間以上にわたって翻弄し、その間に五十鈴と若月は離脱に成功する。

しかし、味方を逃がす事に成功した初月は、退避中についに捕捉されるとアメリカ艦隊の集中攻撃を受けて爆沈した。


その後

小沢艦隊は伊勢と日向の砲戦力を持ってアメリカ艦隊を攻撃すべく南下を続けたが、燃料の不足により帰投した。


囮となった小沢艦隊は空母四隻の全滅と引き換えに、狙い通りにアメリカ機動部隊を攻撃を引き受けることに成功した。

だが、囮艦隊の奇策と犠牲を持って行われるはずだった決戦は、栗田艦隊の謎の反転によりとなって終わり残存艦は日本本土へ撤退した。


残存艦の戦い

レイテ沖海戦終了後、伊勢、日向などの機動部隊の残存艦は仏印(ベトナム)やインドネシアなどへの物資輸送の為本土を離れ南方へ進出する。

このうち軽巡大淀は重巡足柄らとともに木村昌福少将指揮の元、フィリピンのミンドロ島攻撃作戦礼号作戦に参加し日本海軍最後の戦術的勝利に貢献した。

北号作戦

そして1945年2月10日、航空戦艦日向を旗艦とし日向、伊勢、大淀、駆逐艦朝霜、霞、初霜の6隻(任務を完遂するという意味を込めて完部隊と命名。)をもって現在地のシンガポールから積めるだけの物資を積んで日本本土への帰還を目指す北号作戦が発動される。途中何度か空襲や潜水艦の攻撃に合うもスコールに逃げ込んだり主砲で撃退するなどの臨機応変な対応が功を奏し1隻の脱落もなく2月20日に呉に到着する。海軍上層部では「半分戻れば上出来。」と予想していたが、「完部隊、1隻の脱落もなく無傷で日本本土に到着。」の報せが上層部を駆け巡り狂喜乱舞したと伝えられる。この様に味方に被害が全くなかった事からキスカ島撤退作戦同様に奇跡の作戦と呼ばれる。そしてこれは日本海軍最後の作戦成功となった。

この作戦はアメリカ軍の意表を突いた形となり戦後完部隊の指揮官松田千秋少将がアメリカの参謀に尋ねたところ「いや、あれはすっかりやられた」という答えが返ってきたという。

完部隊が持ち帰った燃料は南方から運ばれた最後の燃料となり呉で防空砲台になった伊勢、日向が自艦用に搭載していた燃料は戦艦大和に移された。大和と第二水雷戦隊はこの燃料を元に最後の戦い坊ノ岬沖海戦に臨む事になる。




関連タグ

太平洋戦争 海戦 レイテ沖海戦 スリガオ海峡海戦 栗田ターン

瑞鶴 瑞鳳 千歳 千代田

艦隊これくしょんの関係艦娘

瑞鶴(艦隊これくしょん) 瑞鳳 千歳(艦隊これくしょん) 千代田(艦隊これくしょん)

伊勢(艦隊これくしょん) 日向(艦隊これくしょん)

五十鈴(艦隊これくしょん)/五十鈴改二 任務娘(大淀)

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