概要
起源は、中世ドイツにおける大学自治権要求運動である。学生には社会への批判・懐疑を抱きやすい特性があり、運動近現代において、社会変革の大きな勢力の一つとなった。1960年代末に中華人民共和国、フランス、アメリカ合衆国、ドイツ、イタリア、日本などで世界的な高揚を見せた(スチューデント・パワー)。
日本の学生運動
大正デモクラシーの時期に始まり、戦後になって盛んになった。1960年の安保闘争、1968年 - 1970年の全共闘運動・大学紛争に盛り上がりを見せるが、全共闘や過激派による暴力、100名以上の殺害等によって急速に衰退。現在に至るまで下火の状態が続いている。70年代以後に社会が豊かになったことでの政治離れ、内ゲバやテロなどの過激な行為への忌避などが原因で、現在では多くの大学ですでに衰退している。
運動の中心となるのは活動家と呼ばれる学生であり、彼らは学生全体からみれば少数であるのが常である。活動家の多くは政治党派の学生組織に属しているか、その共鳴者(シンパ)が多いが、政治党派とは距離を置き運動を担っている学生も存在する(ノンセクトラジカル)。運動内容は時代や個別学校によって様々なものがあるが、代表的なものとして、反戦運動、学費値上げ反対運動、学生会館の自治要求、反差別への取り組みなどがある。
日常的に彼ら活動家は、自治会や様々なサークル(社研など)を拠点にして討論や学習をし、自前のビラ(アジビラ)やポスター、立て看板(タテカン)を作製し、授業前のクラスや昼休みの広場などで演説をし、自らの主張をアピールする。時には校内で集会や講演会、学習会などのイベントを開く。運動は日常的には地道なものであり、地味なものである。しかし運動がまれに盛り上がるときもある。普段は大学問題や政治問題に関心のない一般の学生も運動に加わり、全学的に運動が高揚する場合である。そうなればデモや授業ボイコット(ストライキ)、大衆団交、果てはバリケードによる建物占拠などが行われた。
学生運動家のその後*
しかし、運動が挫折したその後、彼らは人生において、様々な困難にぶち当たった。投獄歴がついてしまったりした彼らは、真っ当に就職することは困難となったり、投獄歴がその後の人生にマイナス要素として生涯つきまとう事になった。最盛期に高校生以下だった世代など、学生運動と関わりが薄かった者らはその挫折感を企業への忠誠心に転嫁し、企業戦士に転じていった者も多いが、最盛期に青年であった世代は夢を忘れられず、その後も反体制テロを繰り返した。だが、やはり安保闘争が挫折に終わった事は大きく、彼らの多くは後継者に恵まれなかった。彼ら自身がかつて嫌っていた老人達と同じ年齢になっても、彼らは若き日同様に『夢』を見、反体制派の急先鋒であり続けているが、日本が既に経済大国化して久しい故、彼らの主張は時代遅れとされ、かつて左派が栄えた大学でも、彼らの主張は化石扱いされているという。
前述のこともあり、また社会が全体的に活気を失ってしまったためにこういった運動は滅多に発生しない。しても、かつてのように人生をかけて行うものではなくなっている。
なお、当時の関係者は元警察官、元学生共に「あそこまでとは行かなくとも、最近はなんだかんだ言っておとなし過ぎるのでもう少し活気が欲しい」とのことだが、彼らの就職が比較的容易であった時代と違い、現在では一度ケチがつくと、就職が困難になる時代故、若者の大半は政治的行動は控えているという事情もあり、かつての熱気は戻らないだろう。
学生運動を描いた作品
ベルナルド・ベルトルッチ『ドリーマーズ』
ハンス・ワインガルトナー『ベルリン、僕らの革命』
マヌエル・ウエルガ『サルバドールの朝』