図鑑データ
艦名 | 鈴谷 |
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図鑑No | 124→129(改造後) |
艦級 | 最上型3番艦 |
艦種 | 重巡洋艦→航空巡洋艦 |
CV | ブリドカットセーラ恵美 |
絵師 | コニシ |
「鈴谷だよ!賑やかな艦隊だね!よろしくね!」
最上型重巡概要いっくよー
8月の特別任務でE-3の報酬として、同型の熊野と共に先行配信された。ちなみに熊野はドロップ限定である。
そして2013年10月4日のアップデートで建造により入手が可能となった。
ただし出現率は非常に低く、追い求める提督が後を絶たないレア艦娘の一人。戦艦レシピ(400,30,600,30/400,100,600,30)や、大型建造の最低値レシピで稀に出てくることがある。
2014年2月26日のアップデートで、熊野と共に5-4のボスにS勝利でドロップすることが可能となった。
艦娘として登場する艦船の中では間宮(間宮海峡から)と並んで、現在日本の領土ではない地名から取られている艦船である。
改にすると航空巡洋艦に変わる。
おおぅ、これで容姿にゃ負けないねぇ
薄緑色のセミロングの髪に黄緑がかった瞳が特徴。
髪は左耳上あたりで鉄色のヘアピンで一部纏められており、そこから延びた一房が耳の後ろを通って肩前に流されている。
形式上は最上型だが、「改最上型」「鈴谷型」と呼ばれるほどに改良が加えられているため、最上・三隈のような赤いセーラー服ではなく、茶色のブレザーを着用。
構造的には白のカッターシャツの上から前留式の長袖上着を着用し、襟元にはオレンジ色のスカーフが巻かれている。また上着の両肩部分には金属プレートのようなものがはられており、そこからフックハンガーが伸びている。胸部にも両サイドに一枚づつ、金属プレートのようなものが貼り付けれている。
スカートは白フリルの裏地が入った薄茶色のものを着用。足には甲板を模したと思わしき横縞らしきラインの入った茶色いニーソックスを履き、黒いローファーのようなものを履いている。
以前は台詞で「甲板ニーソに触らないで」か「甲板艤装に触らないで」か、どちらを言っているのかという議論もあったが、公式でニーソと表記された。
ブラなどの着用は確認できないが、下は青っぽいパンツを履いているらしき姿を見ることができる。
艤装も最上に比べて全体的に軽装となっており、背中にリュックのような基部とそこから上に伸びる三叉マスト(?)のようなものを背負っている。他にも二の腕あたりの両袖には10センチ高角砲が2基づつベルトで固定されており、両太腿外側面には20センチ副砲が1基づつ装備されている。
また20センチ主砲は肩紐で肩掛けバッグのように掛けられており、その上部にはフックハンガーのような取っ手が付いている。
鈴谷改
改にすると左腕にはめ込み式の航空甲板が追加される。ちなみに航空甲板=盾みたいな扱いになっているため、平面部分が本来は上部となる。また甲板両側には3連機銃座がそれぞれ一基づつ設置されている。
ちなみに改の中破時には高雄型に匹敵するのではないかといったすばらしいものを見せてくれる。これは未改造時でもその片鱗らしきものを確認できるので、着痩せするタイプなのだと思われる。
また鼠径部から覗く下着はピンク地に白の縦縞模様が入った縞パンだと思われる。
性格は大切じゃん?
語尾によく「じゃん」とついたり生活が夜型だったり性格が軽かったりするあたり、いかにも今どきの渋谷あたりの女子高生といった明るく軽い性格をしている。
提督のお触りでは逆に誘うようなセリフがあり、一時はビッチ疑惑もあったが、いざ被弾して肌が露出すると非常に恥ずかしがったりするあたり実は・・・と妄想する提督は多い。
自称「褒めて伸びるタイプ」。好物はカレーらしい。
深海棲艦のことはキモイといって露骨に嫌っている。なんかヌメヌメするらしい。
ちなみにだが、このボイスは戦闘ボイスという仕様上、演習でも平気で相手の艦娘にキモいと言ってしまう欠陥(?)がある。
仮にも仲間に対して罵声を浴びせるという目を疑う光景だが、これは恐らく演習用の戦闘台詞が用意されていないが為に起きた仕様の不備。流石に平気で人を馬鹿にするような人格ではないと思われる。
提督との関係はかなり気安く、一見友人関係にも見えるが、上記のようにお触りすると逆に誘ってきたり、時報で積極的にお茶に誘ったり昼寝(?!)に誘ったり甘えてきたりMVPを取ると褒めてほしそうに要求してきたりなど友人関係としては行き過ぎな場面も多い。しかも適度なお触りなら大歓迎なご様子で、全体的にかなり好意的。これらから提督LOVEの一人だと一部で考えられている。
そのためか上述の容姿のこともあり、数ある薄い本の世界では「エロ担当艦」として各鎮守府の提督とイチャイチャしまくっている姿が散見されている。
憲兵さん、こっちです。
ちなみに公式四コマでは史実で見捨てられた最上や三隈を独断で助けに行った逸話からか、最上や熊野を気遣ったり世話焼いたりするなど、面倒見のいい面もあるようだ。
特に熊野とは大の仲良しであり、各メディアミックスでもよく行動を共にしている他、公式4コマでは迷子になった熊野を探しに行くなど世話を焼いている。→「鈴熊」
ただし原作ゲーム中では熊野に関しては一言しか言及しておらず、しかも「これで熊野には負けない」とどこかライバル視するような台詞であった。
さらには当の熊野からは(季節限定ボイス以外では)一言も言及されていなかったりする。
季節限定ボイスでは度々熊野を気遣ったり誘ったりする台詞もあるため、仲良しなのは公式設定らしい。
熊野の限定ボイスも加味すると、鈴谷が熊野に合わせている・世話を焼いているといった姿が想像できる。
上記の事柄から百合ネタでは主に熊野と絡んでいる。しかし、出撃・編成時の台詞を考えると、彼女のシスコンは熊野ではなく、長姉の最上に向かっているのかもしれない。
性能にお任せー
ゲームでは初期値で他の重巡より一回り劣っており、改造すると航空巡洋艦になり、火力以外は他の重巡改と並ぶ。
火力を犠牲にして手に入れた水上機(瑞雲・試製晴嵐)搭載能力は、開幕爆撃や索敵・制空権確保の補助、重巡ではできなかった対潜攻撃の参加など幅広い効果を有しており、ある程度電探のかわりにもなるなど汎用性がかなり高い。
だがそのどれも鈴谷単体では効果を発揮しきれない部分が大きく、水上機装備で運用する場合は正規空母とセット運用が望ましい。また水上機を搭載すると、相手に潜水艦がいる場合、目標が潜水艦で固定されてしまう(加えて潜水艦を一撃で撃沈するには力不足である)ため、他の艦を狙ってほしい場合は水上機を搭載しないのも一手である。
とはいえ、水上機を搭載しなかった場合、通常の重巡よりも明らかに見劣りしてしまうのが泣き所だが・・・
2013年12月末のアップデートでカ号観測機(対潜特化)や試製晴嵐(開幕爆撃特化)などの追加によって戦術の幅が広がった。ただしどちらも現状では特定のレア艦を改造しないと手に入らないため、実現は困難である。
2014年2月末のアップデートで実装された、5-4で搭載するとボスに到達しやすくなるドラム缶(輸送用)を重巡クラスで搭載することが可能。
「ドラム缶×2」をもう一隻の航空巡洋艦と共に装備することで、正規空母二隻と合わせると確実に最短ルートでボスに到達できる。
もしくは「ドラム缶×4」を装備させて完全なドラム缶輸送船にしてしまうという手もある。
さてさて、関連イラストいたしましょう
ほーい、提督宛の関連タグだよー
艦隊これくしょん 熊野(艦隊これくしょん) (同時期に先行配備)
史実
名前の由来は樺太を流れる鈴谷川(すすやがわ)から。
1933年12月11日、横須賀海軍工廠にて起工。
1934年11月20日には昭和天皇臨席の元で進水し、1937年10月31日竣工した。
第四艦隊事件により最上型の船体強度に問題があることが判明したため設計図が改正され、船体形状に違いができ、4番艦「熊野」と共に鈴谷型と分類されることもある。
ボイラーが「最上」「三隈」は重油専焼罐大型8基小型2基の計10基から、重油専焼罐大型8基に変更されている。そのため、第3砲塔と艦橋構造物との間の大型吸気トランクがなく、一番煙突の太さもボイラー減少の分だけ径が細くなっている。
1941年の太平洋戦争勃発後は、マレー上陸作戦、バタビア沖海戦、第二次ソロモン海戦、マリアナ沖海戦等に参加。
ミッドウェー海戦に於いて第七戦隊旗艦「熊野」(司令官「栗田健男」少将)は「我に続け」の信号旗を掲げ、旗艦の命令伝達ミスで衝突損傷した最上と三隈をその場に残し鈴谷と共に西進離脱した。しかし鈴谷の艦長「木村昌福」大佐は「我機関故障」と熊野に伝達し意図的に速度を落とし、その後独断で行動不能になった三隈生存者の救助に向かった。生存者の救助後、鈴谷より魚雷を発射し三隈を雷撃処分した。
1944年には第七戦隊に所属してレイテ沖海戦に参加。24日にシブヤン海海戦に参加。
同年10月25日のサマール沖海戦では、栗田艦隊巡洋艦部隊と共に米空母部隊を追撃する。その際に米軍機10機に襲撃され、艦後部への至近弾で燃料タンクに浸水。左推進器に異常が発生し、23ノット(信号では24ノット)以上を出すと艦が震動する状態となってしまう。
この直前に第七戦隊旗艦「熊野」も被雷していた為、司令官「白石萬隆少将」は「熊野」から「鈴谷」に移乗し、米空母部隊追跡は中止となった。
米空母部隊追跡中止後、米軍機約30機の攻撃を受け、至近弾により右舷魚雷発射管付近に小火災が発生。それによって一番発射管の魚雷が誘爆し致命傷を負う。この爆発は近くにいた「羽黒」、「利根」、「矢矧」にも目撃された。
続いて左舷魚雷発射管と高角砲弾も誘爆し、鈴谷に乗艦していた白石司令はこれ以上は危険として指揮所を利根へ移した。
そして鈴谷の乗員の救助作業中も敵機の空襲を受け、白石司令は 「雪風」と「沖波」に航行不能になった「鈴谷」の護衛を命令し、司令の乗る「利根」自体は自艦の短艇を「雪風」と「沖波」に託してその場を去った。
大破した「鈴谷」は1944年10月24日13時22分に沈没。戦死90名、行方不明564名、戦傷69名。412名が「沖波」に救助された。12月20日除籍。