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榎本武揚の編集履歴

2016-08-24 12:33:02 バージョン

榎本武揚

えのもとたけあき

幕末期の幕臣。明治期の政治家・外交官。

1836年10月5日~1908年10月26日


江戸の幕臣の子として生まれる。幼名釜次郎。


昌平坂学問所で儒学・漢学、ジョン万次郎の私塾で英語を学び、樺太探検に赴いた後、オランダへ留学。近代西洋的な政治軍事を学び、幕府海軍副総裁に就任。


大政奉還後、戊辰戦争徳川慶喜とともに大阪から江戸へ敗走。江戸無血開城を不服として、幕府の軍艦8隻を率いて北海道へ逃走。新政府が任命した箱館府知事を追放して箱館の五稜郭を拠点とし、榎本を総裁とする蝦夷島政府(榎本ら徳川家臣団は、別に日本からの「分離独立」を企てたわけではないので、「蝦夷共和国」の呼称は不適切である)を樹立した。蝦夷島政府軍は、土方歳三とともに新政府軍に抗戦するも敗北し降伏。


黒田清隆や福沢諭吉の助命で投獄で済まされた。出獄後に北海道開拓にあたり、間もなく外交官に転じる。薩長藩閥主導の明治政府にあってその緩衝役を果たした。


義理人情に厚く涙もろい典型的江戸っ子で、明治天皇は彼を気に入っていた。主導の政府に不満を持っていた東京の民衆から「明治最良の官僚」と謳われた。


国際法・農業・科学技術など多方面に通じ、外務大輔、議定官、海軍卿などを歴任した。郵便マークの「」を考えたのは逓信大臣だった頃の榎本ではないかとする説がある。東京農業大学の創設者でもある。


外国語に堪能な海外通だったが、明治政府が推進した欧化政策には批判的で、園遊会にはわざと和服で参列したりしている。


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