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スカイライナーの編集履歴

2011-01-12 00:46:52 バージョン

スカイライナー

スカイライナーとは、京成電鉄の有料特急列車の一つにして、看板列車。京成上野~成田空港間を結ぶ。


歴史

初代AE形の時代

成田空港の開業とアクセス整備

1978(昭和53)年、新東京国際空港(成田空港,のちに成田国際空港に改名)が開港した。

この空港は、都心にあるものの、陸続きとなっており、騒音や大気汚染の激しかった東京国際空港(羽田空港)の国際線機能のほとんどを千葉県成田市に移すことで、公害を改善し、国際線の増加に対応しようとした。

開港前は、土地の収用で近隣住民と激しい争いがおこり、成田空港反対闘争(三里塚闘争)が勃発した。

だが、政府が建設の意思を固めると、恐らくの話だが、「公共の福祉」の行使によって土地を収容したものと思われる(収容はできるが、補償を必ずしなければならない)。

そして開港の運びとなったが、場所が都心に程遠い成田で、国際線重視の空港なだけに、都心へのアクセスの早急な整備が急務となった。

すでに、バスによるアクセスは整備されていたが、その時、政府では当時大成功をおさめた新幹線を整備する「成田新幹線」構想が練られたが、建設途中で計画を放棄。路線として完成していたのは成田空港駅成田市土屋付近までと、東京駅京葉線地下ホームのみで、ほかは収容跡があるのみである。

そのあと、今度は京成電鉄が成田空港のターミナルビルから外れた場所に地下駅の成田空港駅を開業し、京成成田~成田空港間に線路を敷いた。ついに、都心~成田空港が線路で結ばれたのである。

そして、初代AE形による有料特急「スカイライナー」が走り始めた。

初代AE形の反響

「スカイライナー」は、成田空港へ向かう唯一の鉄道だが、運行開始当時は人気がなかった。

その理由は、途中の駅に一切停まらなかったこと、成田空港駅が空港の外れにあることであった。

また、ある編成は三里塚闘争の残党によって窓ガラスを割られる事件も発生し、こうした泥沼時代が何年も続いた。

日暮里駅・成田駅停車

そんなスカイライナーをどうにかするため、京成は、日暮里駅に全列車を停車させる試みをした。その甲斐あってか、乗客も増えた。

また、成田駅にも停車させる試みもした。変化は日暮里程ではなかったが、あとに朝の数本を除き停車するようになる。

AE100形時代

1992(平成4)~93(平成5)年にかけて、スカイライナー専用の新型車両「AE100形」が登場し、初代AE形を置き換えていった。

AE100形は、京成初のVVVFインバーター搭載車である3700形の性能をを、スカイライナーに適するように、一部変更を加えた車両で、前面は流線型となり、初代AE形とは全く違った印象を受けた。

また、スピードアップが図られ、日暮里~成田空港間を最速59分で結ばれるようになった。

一時、初代AE形とAE100形が並ぶことがあったが、すべて置き換え、初代AE形は全滅した。

新・成田空港駅の開業

スカイライナーで最も大きいニュースのひとつは、1991(平成3)年の成田空港駅開業である。これにより、旧成田空港駅は東成田駅となり、やがて芝山鉄道が乗り入れてくることになる。

「スカイライナー」に関しては、空港第二ビル・成田空港が停車駅に追加された。

また、同時にJR東日本も特急成田エクスプレスを設定し、都心だけでなく、郊外にも足を延ばすことで、利便性で勝負を挑んだ。

当時は、成田エクスプレスのほうが速かった。

モーニングライナー・イブニングライナーの設定

「スカイライナー」だけであった京成の有料特急にも、新たな選択肢ができた。「モーニングライナー・イブニングライナー」の登場である。

「モーニングライナー・イブニングライナー」は、通勤ライナーとしての性格を持ち、スカイライナーの停車しない青砥・八千代台・佐倉にも停まる。なお、モーニングライナーは上野行き、イブニングライナーは成田空港行きで、乗車駅と降車駅が異なる。

船橋駅の一部列車停車

「スカイライナー」に限り、日暮里,成田に続き、新たに船橋駅が停車駅に加えられた。成田駅と同じく、朝の数本は通過する。

乗車人員1億人突破

今まで山あり谷ありの歴史を歩んできた「スカイライナー」だが、遂に乗車人員が1億人を突破した。それは、全員が乗車したと仮定すると、なんと国民のほとんどが一度乗車したことがあるという計算。ものすごい人数である。これに伴い、車内では、1億人突破記念ワインが販売され、先頭車の前面貫通扉などに「ありがとう1億人」のステッカーが貼られた。

新AE形時代

成田空港線(成田スカイアクセス線)の開業

2010(平成22)年7月17日、またも千葉が沸き立った。

成田空港線(成田スカイアクセス線)の印旛日本医大~空港第二ビル間が開通し、北総鉄道線も成田空港線と共同使用となった。

これに伴い、「スカイライナー」は成田スカイアクセス線経由にすべてシフトされ、車両はすべて新AE形となった。

なお、AE100形は、特に変更がない限り、新設された「シティライナー」のみの運用となった。

「シティライナー」

現在の「スカイライナー」は新AE形使用なのに対し、「シティライナー」は、AE100形を使用する。

停車駅は、旧「スカイライナー」停車駅に青砥が追加され、新たに成田止まりも登場した。

「モーニングライナー・イブニングライナー」にも、成田止まりが登場している。


車両

初代AE形

「スカイライナー」運転開始に合わせて登場。

当時としては画期的な定速制御を搭載し、界磁添加励磁制御も搭載する。

AE100形登場に伴い引退、機器類を通勤車の3400形に移した。

AE100形

1992年登場。

先頭部は流線型で、地下鉄への直通運転に対応するため、京成の有料特急専用車で唯一、前面に貫通扉を持つ。非常時には、貫通扉が上に開き、非常階段が下される。

ライトは格納式となっており、なかなか遊び心がある。

制御方式は3700形と同じGTO素子のVVVFインバーター制御。

定速制御は速度25km/h以上で、ノッチを力行側の4か5に合わせることで発動。

成田スカイアクセス線開通に伴い、「シティライナー」専用に。

新AE形

成田スカイアクセス線開通に伴い、登場した、スカイライナーの最新形式。

最高速度は160km/h。これは、北越急行681系・683系と同じで、日本の私鉄では最速。これにより、上野~成田空港間は最短36分に短縮され、成田エクスプレスに競り勝った。しかし、利便性で成田エクスプレスにやや劣る。

最高速度160km/hを獲得した代わりに、起動加速度は京成の標準的な加速度である3.5km/h/sから2.0km/h/sに大幅に下げられた。

デザインにも注力している。デザイナーは山本寛斉。

前面は、真ん中にヘッドライトが4つ集められている。アホ面言うな。

車内はブルー系で統一され、仕切り扉上には液晶モニターが設置されている。前面展望映像も流される。

制御方式はIGBT素子のVVVFインバーター。ベクトル制御付きなので、加速は滑らかになっている。

「モーニングライナー・イブニングライナー」にも就く。新AE形が本線を走るのは、基本的にこの列車のみ。

スカイライナーおなじみの定速制御は、新AE形ではボタン式。一定の速度であればボタンを押すことで発動する。


「スカイライナー」と「特急」

昔、スカイライナーは種別が特急,列車名がスカイライナーとなっていた。

しかし、京成には料金不要の特急が存在し、区別がつかなくなるのを防ぐため、現在は種別・列車名ともにスカイライナーとなっている。

そのため、スカイライナーなどの有料特急列車の特急券のことを、京成では「ライナー券」と呼ぶ。


関連タグ

京成電鉄 成田空港 JR東日本 成田エクスプレス ガチムチ兄貴 新日暮里

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