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スカイライナー

すかいらいなー

成田空港へのアクセスを主目的として京成電鉄が運行する有料特急、及びその車両に関するイラストにつけられるタグ。
目次 [非表示]

スカイライナー(Skyliner)とは、京成電鉄の有料特急列車の一つにして、看板列車。京成上野~成田空港間を結ぶ。

NARITA SKY ACCESS 160!

歴史編集

初代AE形の時代編集

成田空港の開業とアクセス整備編集

1978(昭和53)年、新東京国際空港(成田空港,のちに成田国際空港に改名)が開港した。


新東京国際空港開港が浮上したのは、1962(昭和37年)年のこと。

都心にある騒音や大気汚染の激しかった東京国際空港(羽田空港)の国際線機能のほとんどを千葉県富里に移すことで、公害を改善し、国際線の増加に対応しようとした。


富里は現地の反対が強かったことから、1966(昭和41)年、空港予定地は成田市三里塚に変更された。三里塚には宮内庁の御料牧場があったので、買収する土地が少なく済んだことによる。

だが、三里塚でも現地の農家が激しく抵抗し、収用は難航した。周辺の農民たちは「三里塚・芝山連合空港反対同盟」を結成。上からごり押しする政府の姿勢に不信感を持ち、暴動などの武装抵抗も辞さない強硬策をとった。


当初世間の世論は農民たちに同情的であったが、三里塚闘争に参加した新左翼過激派が千葉県内や東京など各地で収用委員襲撃、警察官殺害などのテロ事件をたびたび起こしたために国民の支持を失い、支持者たちの多くも離れていった。


そして開港の運びとなったが、場所が都心に程遠い成田で、国際線重視の空港なだけに、都心へのアクセスの早急な整備が急務となった。


政府では東京と直結する「成田新幹線」構想が進められたが、建設途中で計画を放棄。路線として完成していたのは成田空港駅成田市土屋付近までと、東京駅京葉線地下ホームのみで、ほかは部分的な収容跡があるのみである。


結局、京成電鉄が成田空港のターミナルビルから外れた場所に地下駅の成田空港駅を開業し、京成成田~成田空港間に線路を敷いた。ついに、都心~成田空港が線路で結ばれたのである。


初代AE形の反響編集

初代AE形による有料特急「スカイライナー」は、開港当時の成田空港へ向かう唯一の鉄道だったが、運行開始から数年間は連日空気輸送に甘んじる有様だった。


その理由は、途中の駅に一切停まらなかったこと、成田空港駅が空港の外れにあること、また当の成田空港が厳重警備で、利用客以外は近付き難く商売がやりにくい状況であったこと、そしてなによりも当時は海外旅行自体が一般庶民には高嶺の花であり、(当時国内線が無かった)成田空港自体がまるで無縁の存在であったことが一番の原因だろう。


また、成田空港の開業遅延の為にAE形は納入後もしばらく出番がなく、その間に三里塚闘争の残党によって空港線への妨害も繰り返され、ある車両は焼き討ちされ、窓ガラスを割られる事件も発生。運転前から受難の時を迎え、こうした泥沼時代が何年も続いた。


成田駅と日暮里駅停車編集

そんなスカイライナーをどうにかするため、運用開始翌年の1979年には一部の列車を成田駅にも停車させる試みもした。後に成田は朝の数本を除き停車するようになる。さらに1983年からは乗換えが容易な日暮里駅に、一部の上り列車を停車させるようになった(後に上下全列車が停車するようになる)。


「モーニングライナー・イブニングライナー(Morningliner & Eveningliner)」の設定編集

1984~85年にかけて、「スカイライナー」だけであった京成の有料特急にも、新たな選択肢ができた。「モーニングライナー・イブニングライナー」の登場である。


「モーニングライナー・イブニングライナー」は、通勤ライナーとしての性格を持ち、スカイライナーの停車しない青砥・八千代台・佐倉にも停まる。なお、モーニングライナーは上野行き、イブニングライナーは成田空港行きで、乗車駅と降車駅が異なる。


乗車料金は現在大人410円で、AE形に乗る事ができるうえ均一制の為、遠距離ほどお特になる。


海外旅行ブームの到来編集

1980代後半に入ると、折からの大幅な円高などもあって庶民レベルでも海外旅行が手に届くようになり、これまで閑古鳥が鳴いていたスカイライナーの乗車率も改善に向かった。


また並行する高速道路の慢性的な渋滞もあって、(成田空港駅で乗換えの不便こそあったが)定時制に優れるスカイライナーが選択されるようになり、ようやく空港アクセスの手段として本領を発揮するようになった。


AE100形時代編集

1990年(平成2年)、スカイライナーの8両編成化と、翌年の新・成田空港駅の開業に合わせて、スカイライナー専用の新型車両「AE100形」が登場した。


AE100形は、京成初のVVVFインバーター搭載車である3700形の性能を、スカイライナーに適するように、一部変更を加えた車両で、前面は流線型となり、初代AE形とは全く違った印象を受けた。また、スピードアップが図られ、日暮里~成田空港間を最速59分で結ばれるようになった。

一時期初代AE形とAE100形が併存していたが、1993年に初代AE形は引退した。


新・成田空港駅の開業編集

スカイライナーで最も大きいニュースのひとつは、1991(平成3)年の成田空港駅開業である。これにより、旧成田空港駅は東成田駅となり、やがて芝山鉄道が乗り入れてくることになる。


「スカイライナー」に関しては、事実上移転した成田空港に加えて、新たに空港第二ビルが停車駅となった。


また、同時にJR東日本も特急成田エクスプレスを設定し、都心だけでなく、郊外にも足を延ばすことで、利便性で勝負を挑んだ。当時は、(線路条件の良い)成田エクスプレスのほうが速かった。


船橋駅の一部列車停車編集

「スカイライナー」に限り、日暮里・京成成田の両駅に続き、新たに船橋駅が停車駅に加えられた。

成田駅と同じく、朝の数本は通過する。


乗車人員1億人突破編集

今まで山あり谷ありの歴史を歩んできた「スカイライナー」だが、遂に乗車人員が1億人を突破した。

それは、全員が乗車したと仮定すると、なんと国民のほとんどが一度乗車したことがあるという計算。ものすごい人数である。


これに伴い、車内では、1億人突破記念ワインが販売され、先頭車の前面貫通扉などに「ありがとう1億人」のステッカーが貼られた。


新AE形時代編集

成田空港線(成田スカイアクセス)の開業編集

2010(平成22)年7月17日、またも千葉が沸き立った。

成田空港線(成田スカイアクセス線)の印旛日本医大~空港第二ビル間が開通し、北総鉄道線も成田空港線と共同使用となった。

これに伴い、「スカイライナー」は成田スカイアクセス線経由にすべてシフトされ、車両はすべて新AE形となった。

なおAE100形は、特に変更がない限り、新設された「シティライナー」のみの運用となった。


「シティライナー(Cityliner)」編集

現在の「スカイライナー」は新AE形使用なのに対し、「シティライナー」は、AE100形を使用していた。停車駅は、旧「スカイライナー」停車駅に青砥が追加され、運転区間は京成上野~京成成田間。

なお「シティライナー」は2015年(平成27年)12月5日ダイヤ改正をもって定期列車が廃止され、「モーニングライナー・イブニングライナー」にも、成田止まりが登場している。


青砥駅・新鎌ヶ谷駅の一部列車停車編集

2020年(令和2年)、COVID-19の影響で需要が激減、一時期半数が減便になった。空港職員の通勤需要がある事や横浜・羽田空港方面からの接続改善を狙い、一部列車が青砥駅に停車を始めた。

2022年(令和4年)11月26日のダイヤ改正では、青砥駅停車便を対象に新鎌ヶ谷駅が新たに停車駅に追加。指定席料金は新鎌ヶ谷駅から成田空港方面が800円、新鎌ヶ谷駅から青砥駅まで300円、上野駅まで500円。


北総線の「臨時ライナー」編集

2020年10月1日より運行を開始。平日の通勤時間帯に運転される北総線経由の回送列車のダイヤを活用し、印旛日本医大駅始発京成上野行き1本のみの運転が始まった。

全席自由席とし、ライナー券(500円)は乗車後、車内で現金でのみ発売。


途中停車駅は千葉ニュータウン中央、青砥、日暮里。印旛日本医大駅と千葉ニュータウン中央駅は乗車のみ、その他は降車のみ取扱。青砥駅で始発の特急三崎口行き(京成線押上駅まで普通、泉岳寺駅まで各駅に停車)に接続している。


歴代車両編集

AE形」「AE100形」の個別記事も参照。

初代AE形編集

鉄面画 京成AE形(初代)スカイライナー

空港線建設が急がれた1972年に登場した。


しかしながら肝心の成田空港・空港線の開業の目途が立たず、翌年末には上野~成田間で暫定的に営業運転を開始した。しかしながら、大半の車両は雨ざらしのまま放置されたという。


1978年になって「スカイライナー」として、ようやく本来の用途である空港連絡特急に投入された。その後イメージチェンジを狙って1983年からは車体色が変更され、晩年の1990年には8両編成化による編成換えと改造(と余剰車の廃車)が行われた。


1993年にAE100形登場に伴い引退、車籍と機器類を通勤車の3400形に移した。現在は京成宗吾車両基地に先頭車1両が保存されている。


AE100形編集

鉄面画 京成AE100形スカイライナー(動かない)

1992年登場。

先頭部は流線型で、地下鉄への直通運転に対応するため、京成の有料特急専用車で唯一、前面に貫通扉を持つ。

非常時には、貫通扉が上に開き、非常階段が下される。ライトは格納式となっており、なかなか遊び心があるが実用性は無い。


制御方式は3700形と同じGTO素子のVVVFインバーター制御。しかも起動加速度まで通勤型と同じ3.5km/h/sのハイパワーである。定速制御は速度25km/h以上で、ノッチを力行側の4か5に合わせることで発動。


成田スカイアクセス線開通に伴い「シティライナー」専用になったが、同列車廃止により2016年のさよなら運転を最後に全廃となった。こちらも先頭車の1両が初代AE形同様、京成宗吾車両基地に保存されている。


新AE形編集

京成電鉄 スカイライナー

成田スカイアクセス線開通に伴い、登場した、スカイライナーの最新形式。2011年度ブルーリボン賞を受賞した。


営業最高速度は160km/h。これは、JR西日本・北越急行の681系・683系と同じで、日本最速の特急型車両。

もちろん日本の私鉄でも最速。これにより、上野~成田空港間は最短36分に短縮され、成田エクスプレスに競り勝った。しかし、利便性では各方面に直通列車を走らせる成田エクスプレスにやや劣る。


最高速度160km/hを獲得した代わりに、起動加速度はAE100形の3.5km/h/sから2.0km/h/sに大幅に下げられた(と言うよりかはAE100形の起動加速度は特急型車両と言うには大きすぎた)。


デザインにも注力していて、デザインは山本寛斉が担当した。

スカイライナーは英文で書くと「Skyliner」となるが、この車両のロゴでは「SKYLiNER」となっており、「S」は筆で描いたかのような感じで大きく書かれている。また、「i」の点は赤くなっている。

これは、日本の国旗「日の丸」を表しており、「外国人が日本に降り立って初めて乗る電車にふさわしい車両にする」というコンセプトを基に、このロゴとなった。おもいっきり(和製)英語ではあるが。

カラーリングは、最近の京成の車両が使っている赤と青ではなく、空をイメージさせる濃紺と白の組み合わせとなった。


車体上部のふち周辺が濃紺で、それ以外は白である。また、青系の色の組み合わせで、帯も配されている。前面は、真ん中にヘッドライトが4つ集められている。


車内はブルー系で統一され、仕切り扉上には液晶モニターが設置されている。前面展望映像も流される。


制御方式はIGBT素子のVVVFインバーター。ベクトル制御付きなので、加速は滑らかになっている。スカイライナーおなじみの定速制御は、新AE形ではボタン式。一定の速度であればボタンを押すことで発動する。


「モーニングライナー・イブニングライナー」、さらには正月の成田山新勝寺輸送の「臨時シティライナー」にも就く。新AE形が本線を走るのは、基本的にこの3列車のみ。


「スカイライナー」と「特急」編集

昔、スカイライナーは種別が特急,列車名がスカイライナーとなっていた。

しかし、京成には追加料金不要の特急(自由席特急、無料特急)が存在し区別がつかなくなるのを防ぐため、現在は種別・列車名ともにスカイライナーとなっている。

そのため、スカイライナーなどの有料特急列車の特急券のことを、京成では「ライナー券」と呼ぶ。


停車駅編集

スカイライナー編集

京成上野駅 - 日暮里駅 - (青砥駅)- (新鎌ヶ谷駅※) - 空港第2ビル駅 - 成田空港駅

青砥駅及び新鎌ヶ谷駅は一部の列車のみ停車


モーニングライナー・イブニングライナー・シティライナー(臨時)編集

京成上野駅 - 日暮里駅 - 青砥駅 - 京成船橋駅 - 八千代台駅 - 京成佐倉駅 - 京成成田駅 - 空港第2ビル駅 - 成田空港駅

八千代台駅、京成佐倉駅はシティライナー通過駅


関連タグ編集

京成電鉄 成田空港 JR東日本 成田エクスプレス ガチムチ兄貴 新日暮里

成田空港駅 空港第2ビル駅

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