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村田修一の編集履歴

2017-03-29 09:25:02 バージョン

村田修一

むらたしゅういち

読売ジャイアンツに所属する野球選手。ポジションは内野手(三塁手)。愛称は男村田。

経歴

2003年に横浜ベイスターズ入団。その後2011年オフにFA宣言し読売ジャイアンツに移籍。


2007年、2008年のセ・リーグ本塁打王。松坂世代を代表するスラッガー。東福岡高校時代は投手だったが、日本大学入学後に打者転向した。


キーワード

「動けデブ!」

高校の後輩であり、横浜時代のチームメイトの吉村裕基パワプロで遊んでいたとき、本人を目の前にして動きの悪いゲーム上の村田に「動けデブ!」と言われたことがある。(その後、ゴールデングラブ賞(三塁手部門)を受賞するまで守備が上達。)

なお、内川コピペにおいて、息を引き取る吉村と村田とはこの2人のことである。


「だいたい自分は巨人が嫌いです」

2003年に横浜に入団する際、自分を評価してくれたことが大きかったと語っており、その時にこのように発言したとされているが、FA後の巨人入団会見では「気持ちを押し殺していた」と語っていた。要するにツンデレであり、なんJでは「乙女村田」と呼ばれることになった。


ムラゲ

併殺打が多いことから「村田のゲッツー(併殺打)」を略してこう呼ばれる。右打ちの強打者の宿命。

なお併殺打に特別な名前がついている新井貴浩(ツラゲ)とは背番号25、本塁打王、FA移籍など共通点が多い。また、上述の乙女村田と合わさり「ゲッツーの極み乙女。」などとも呼ばれる場合がある。


引退試合クラッシャー

度々、他人の引退試合で活躍し、引退選手の活躍を霞ませたり消し飛ばしたりすることでも有名。

特に2007年の広島・佐々岡真司の引退試合では(本塁打王争いの真っ只中だった上、打った球はボール球だったという事情もあるが)9回2アウトで登板した佐々岡からホームランを打ったり、2010年の阪神・矢野燿大の引退試合でも抑えで出てきた藤川球児を炎上させて矢野の出番を消し去ったりしている。

なお、矢野の出番を消し去った後の引退セレモニーで花束を渡したのが消し去った張本人の村田だということはあまり知られていない。

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