1910年から1991年まで宇野駅(岡山県玉野市・宇野線)と高松駅(香川県高松市・予讃線)の間で国鉄・JR四国が運航していた鉄道連絡船。
貨車(一時期は客車も)航送が行われていたほか、1972年からはホーバークラフトが就航した。
1988年4月10日の瀬戸大橋線全線開業に伴い連絡船とホーバークラフトの運航は終了。1985年から投入されていた高速艇は存続したが1990年に運航を休止、翌1991年に正式に廃止となった。
その後の宇高航路のお話
なお、同ルートでの民間航路は現在も運航されているが、高速道路1000円化などで赤字がかさみ、度々具体的な廃止の話(〇年〇月で廃止予定になる→後に撤回)が出るなど、予断は許さない状況にある。
とはいえ、瀬戸大橋が強風で封鎖・運休されるたびに宇野・高松のフェリー乗り場に乗客が殺到し、積み残しが出る大混乱に陥っている。四国フェリーなどは1隻が余剰で休船になったはずが、この振替輸送実施時に到底間に合わず1年経たずに第一線に復帰という事態になった。もしかしてそれはギャグでやってんのか?
その後宇高国道フェリーは無期限運行休止に突入。国道フェリー撤退により、長らく続いたフェリー会社複数制がついに終焉を迎えた宇高航路。最後に残ったのは四国フェリーとなったが、同航路は未だ苦しい状態が続く。
2000年代まで、1日100便以上の運航体制と24時間運用を行っており、便数では鹿児島県の桜島フェリーを上回る規模であった。
しかし国道フェリー撤退前後も四国フェリーは一貫して減便を続けたため、現在は1日10便、夜8時過ぎには終便を迎え、深夜便からは完全に撤退している。
加えて乗船代の値上げ、旧型船のみを存続させより快適な船が撤退、子会社化などサービスの悪化も続いている。それでもなお経常赤字が続いており、四国フェリー社は「このままでは更なる値上げや減便が必要になる」と補助を訴えている。
しかしながら四国フェリーは他にメイン航路として小豆島や直島への航路を抱えており、補助金頼みの姿勢や同航路を子会社運営としたことからも同航路へ関心自体が薄れている恐れもある。
実はそれを証明するように、四国フェリーは宇高国道フェリーの無期限運航休止直後に宇高航路を子会社である四国急行フェリーに移管させている。
本四航路一本で末期までサービス向上に努めていた国道フェリーが残っていれば、宇高航路はここまでの危機を迎えていなかったのではないか、とも考えられる。
何れにせよ、多額の税金を投与して作られた瀬戸大橋との共存、あるいは撤退その他をどのように集約させていくか、それに同航路の存続はかかっているだろう。
一方、かつて連絡船で使われた船はその後インドネシアやパナマに売却された。2008年にJR四国はその内の阿波丸に再開するツアーを開催した。(参考)